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ザルツブルク音楽祭・ウィーン・フィル(ドイツ音楽三昧 その5)
二回目のミュンヘンからザルツブルクへの日帰り。この日は、夜19:30開演のウィーン・フィル公演だけなので、途中下車でヘレンキムゼー宮に立ち寄りゆったりとした観光も楽しみました。 この宮殿も、あの《狂王》ルートヴィヒⅡ世が建設したもので、ここもやはり王の死後に建設が中止され完成半ばのままになっています。ミュンヘンとザルツブルクのほぼ中間に位置するキーム湖(キーム・ゼー)中央の島にあるので、フェリーで往復することになります。この日は天候もよく快適な湖上ツアーでした。 この宮殿は、ノイシュバンシュタイン城のようなワーグナーへの傾倒は見られませんが、有名な「鏡の間」を始め、バイエルン公が模範としたフランス・ブルボン朝太陽王ルイ14世へのオマージュやベルサイユ宮殿への憧憬に満ちあふれています。ルートヴィヒⅡ世の偏執的なこだわりと、こうした19世紀末に建設されただけに宮殿・城郭としては珍しい近代的な設備や意匠がここかしこに観られて興味深いものがあります。 駅に戻ると、タッチの差でザルツブルク行きの快速列車を逃してしまいました。こういう時に限ってやけに正確なのが皮肉です。とはいえ夜の公演まではずいぶんと余裕がありましたので、次の列車でザルツブルクに着いてもゆっくりと食事を取る時間もありました。 何となくウィンナシュニッツェルが食べたくなったのも、ここはドイツではなく国境を越えたオーストリアだからでしょうか。家人のリクエストでザルツブルク名物の「ノッケルン」もオーダー。「山」という名前のこのお菓子は、フワフワの山型のスフレのこと。ウェイターが何度も念を押した通り、とにかく巨大で、メレンゲがたっぷりで粉砂糖もふんだんにかかっていてとにかく甘い。いかにもこちららしいぜいたくですが、ふたりでもちょっともてあまし気味(笑)。 さて… 私にとっては、30年ぶりの祝祭大劇場。今回は、その音響を確かめるつもりもあって2階正面のほぼ中央最前列の席です。ここの劇場は1階席が大きくとっていてこの2階席は最上ランクではなく170ユーロとちょっとばかりお得でした。ステージがよく見渡せますが2階正面席としては遠目のほうでしょう。 この劇場は、大戦後に建設されたものでカラヤンによる「ばらの騎士」でこけら落としが行われたことでも有名です。伝統的なヨーロッパの歌劇場とはかなり様相が違っていて横長のステージ。今回はここでのオペラ観劇はありませんでしたが、舞台設定によっては両端の席からはかなり見難く、例えばNHKホールでオペラを観るような白々しさを感じることもあります。オーケストラコンサートは、米国や英国流のデッドでクリーンな響き。いざ2階席正面に座ってみると、さらに反射や残響が乏しくかなり直接音中心のサウンドになります。このことがプログラム前半と後半とで明暗を大きく分けてしまったようです。 指揮者のヤニック・ネゼ=セガンはカナダ出身の新進気鋭でフィラデルフィア管の音楽監督。今シーズンは、ウィーン・フィル、バイエルン放送響などとブルックナー・ツィクルスに取り組んでいます。後半は、その注目のブルックナーです。 コンサートマスターは、私もすっかりおなじみになったライナー・ホーネック。 前半は、マルティヌーの「フランチェスカのフレスコ」という大規模な現代曲。イタリアのアレッツォ、サン・フランチェスコ聖堂中央礼拝堂のピエロ=デラ=フランチェスカのフレスコ画に触発されて作曲されたもの。初めて聴きましたが、この大規模な難曲を素晴らしいテンションで実にクリアに演奏しきったウィーン・フィルの技量に感服しました。このサウンドは、私のウィーン・フィルのイメージとはずいぶんと違います。 後半は、いよいよ注目のブルックナーの「ミサ曲第3番」。 実は、チェコの作曲家マルティヌーとブルックナーという組み合わせは、奇しくも一昨年末にプラハ・ドボルザークホールで聴いたケント・ナガノ指揮のチェコ・フィルと同じ。その時はマルティヌーの「二つの弦楽オーケストラ、ピアノとティンパニのための複協奏曲」とブルックナー「交響曲第9番」。ナガノの指揮にも感服しましたが、それまで敬遠気味だったブルックナーにすっかり心動かされました。あのホールは、ほんとうに長い残響ですが音が混濁したり飽和することがありません。私は、そこで初めて『ブルックナー休止』とはこういうことだったのかと目からウロコが落ちる思いがしたのです。 『ブルックナー開始』や延々と続く小刻みなトレモロ、執拗にくり返される反復音型、重厚壮大な金管のコラールなど、ブルックナーの音楽は残響の長い教会の大聖堂でこそその本質が発揮される音楽なのです。あの峻厳なまでの超越的な存在への憧憬と敬けんな祈りは、ドボルザークホールのような長い残響特性を持つホールでなければ立ち現れることがなく、真摯に胸を打つことはないのではないでしょうか。恐らくウィーン・フィルの本拠であるムジークフェラインも同じ音響なのだと思います。 その奇跡が、このザルツブルク祝祭大劇場では訪れてくれないのです。 1階席であったならもう少し響きの上下への拡がりを感じたのかも知れません。けれども残響の短い現代的なホールでは、先日のモーツァルテウムでのシューベルトのミサ曲のような祈りに満ちた感動が降臨することはないのかもしれません。 ウィーン・フィルは、ウィーンで聴け。 次は何としてもミュジークフェラインでウィーン・フィルを聴きたい。その思いとともに、オーディオというものはやはり部屋に響きが拡がり包まれるような立体的な響きがなければクラシック音楽はなかなか心の奥にまでは届かないのだとの思いも強くなりました。スピーカーの間にこぢんまりとフレームにはまった写真のような音像を小さな音量で聴く…というのではだめなのでしょう。逆に無響室のような味気ない大きな部屋でいくら音量をあげてもやっぱりだめなのだと思います。ミュジークフェラインの響きを再現するシステムとルームチューニング。それにはあのホールを実体験しなければ…とそういう思いがつのるばかりです。 拍手もそこそこに席を立ち、劇場の表でタクシーを拾いました。そうやって駅に直行したことが功を奏して帰りの快速に間に合いました。さすがに私たちもドイツになじんできたのか、この日は余裕綽々の復路でした。 ザルツブルク音楽祭 宗教曲シリーズ(Overture Spirituelle) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 2015年7月27日(月) 19:30 ザルツブルク・祝祭大劇場 BOHUSLAV MARTINU Les Fresques de Piero della Francesca ANTON BRUCKNER Messe Nr.3 f-Moll fur Soli, vierstimmingen gemishten Chor und Orchester WAB 28 Sopran DOROTHEA ROSCHMANN Alt KAREN CARGILL Tenor CHIRISTIAN ELSNER Bass FRANZ-JOSEF SELIG CHOR DES BAYERISCHEN RUNDFUNKS WIENER PHILHARMONIKER Dirigent YANNICK NEZET-SEGUIN
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ザルツブルクの祝祭劇場が現代的な音響というのは兎も角、横浜みなとみらいの大ホールや大阪フェスティバルポールのようにステージが左右に広がった構造は、音の密度が薄く響きも淡白な感じになりますね。 ウィーンフィルはウィーンで聴けは名言ですね。早くも来年の計画でしょうか(笑)
by椀方 at2015-09-01 22:04
椀方さん 横浜MM大ホールとはだいぶ違います。どちらかといえばフェスティバルホールのほうに似ています。でも、こちらはオペラ上演設備なのでステージが深くおそらく左右も舞台装置のスペースが大きく取っているのだと思いますので、NHKホールによく似ています。フェスティバルホールによく似ているのは、ロンドン響の本拠地バービカンホールですが、あそこは天井に追加された音響パネルが効いていて意外によいサウンドでした。 ザルツブルク音楽祭は、いまやヨーロッパかしこで夏の音楽祭があって厳しい状況なのではないでしょうか。特にミュンヘンの成功は近場だけに脅威でしょう。こういう設備的な問題も含めて抜本的な施策が必要となってきているような気がしました。
byベルウッド at2015-09-02 08:55