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日記

「オーディオ巡礼」(五味康祐)

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2015年09月03日



以前にあるSNSにアップした読後感想です。最近、ふとしたことでこれを引用しようと思ったところ、このコミュではアップしていなかったことに気づきました。ちょうど、あの大地震の直後でこちらでの活動を休止していた頃だったのです。

アップしたSNSのほうでは、ずいぶんと沢山のコメントをいただきました。こちらでもあらためてあの時の読後感想を再掲し、若干の補足をさせていただきます。

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「オーディオ巡礼」(五味康祐)
                        (2011年07月08日)


80年初版の本書が、最近になって復刻された。もともとは67年に創刊された「季刊ステレオサウンド」誌に連載されたもの。70年代のまさにオーディオ黄金期そのものの時期に執筆されていた。

五味康祐のオーディオ狂ぶりは有名。昔からハイエンドオーディオ誌は読まなかったし、ましてや高価な「ステレオサウンド」誌など読んだこともないが、何となく当時が懐かしくなって手にとってみた。

読んでみると面白い。

ひとつには、デッカ社「デコラ」、「グッドマン」、「タンノイ・オートグラフ」、「マッキンMC275」…などなどのブランドが懐かしい。私なんぞは夢のまた夢だったが、いまだにそういうブランドを有りがたがるヴィンテージファンの原点はこのあたりにあったのかとも合点がいった。特に、「タンノイオートグラフ」を崇め奉る風潮は五味康祐だったのかと、今さらながら再認識した。

とはいえ、五味のオーディオ談義には今に通ずるものも多い。

高価な機器を渉猟しつくし、愛好家の音をくまなく聴き歩いたた五味だが、満足に鳴らすことは容易ではなく「高級機ほど鳴らすのが難しい」という。常に「自分は本当に正しい音を聴いているのだろうか」と疑ってしまう。そういう不満、自問自答の格闘が貴いのであって、「金にあかせて高価な部品をそろえ、碌な曲を鳴らしていない」成金趣味のオーディオ・マニアには手厳しい。

「同じ装置でも部屋が違えば別物の音がする。部屋がオーディオを鳴らす。」とも言う。「タンノイ」についても、満足に鳴らせるようになるまで10年以上を要した。そのうえでステレオ時代になってから「オートグラフ」を導入した。そういう格闘の末の「オートグラフ」だという。

その舌鋒はレコードコレクターに向けられ「碌でもないレコードを何百枚も持つ手合いは、余程の暇人かアホウ」と一刀両断。「選択は、かくて教養そのものを語ってゆく」とまで言い切っている。「私は最近、音楽ではなく音質を聴いているような気がする」という一文にもはっとして我が身を振り返ってしまった。

「倍音の美しさを抜きにしてオーディオで音の美を論じようとは私は思わぬ」というのもずしりとくる。迫力とか「分解能や、音の細部の鮮明度」でまさっても「倍音の美しさや余韻というもの」がなければだめだという。

その他、現代に通ずる見識がいくつもある。

読んでみてよかった。

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上掲の拙文は当時そのままですが、実は、この読後感想文、ずいぶんと書くのに苦労しました。いまでもすっきりしているわけではありません。

というのも、五味のオーディオ狂ぶりや文士気取りの音楽評は、若い頃はずいぶんと反発していたのです。だから、ずっと長いこと読もうという気すら持ったことはありませんでした。この本をあらためて買い求めたのは長年の時を隔てた心境の変化としか言いようがありません。

そもそも五味康祐のオーディオ評論というのは、まさに『文学』であって毒気に満ちています。当時のあこがれのハイエンド機器の所有者をこてんぱんにやっつけるようなところがあって、高城重躬氏などさんざんにこきおろしています。コンクリートホーンやゴトウユニットについてはボロクソに言っています。そういう文をハイエンド誌に載せてオーディオファンの心理をさらにくすぐる。人気作家の売文にオーディオの楽しみが翻弄され、時として見下される…。

それでいて、読んでみると共感する部分も随分とあって面白い。こんなことを言っていたのか、という発見もありました。

そういう五味の矛盾や嫌味に、自分自身の矛盾と反抗心がごちゃまぜになってしまうのです。

五味は、「オーディオ愛好家の5条件」という一章で、その5条件のひとつに「真空管を愛すること」を挙げています。

「真空管を差し替えればかならず音は変わるものだ。」「倍音の音のふくらみ方が(真空管1本1本で)違う。」「オーディオの醍醐味とはついにこうした倍音の微妙な差異を聴きわける瞬間にあるのではなかろうか」とあり、最後は「真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わない。」でこの一節が結ばれています。

五味の趣旨は、「倍音の美しさや余韻」を聴きわけられるかどうかという点にあるように思います。ところが、このあと、トランジスターは倍音が人工的で、「倍音の美しさや余韻というものが」ないので「石のアンプは結局は、使いものにならない。」のだと切り捨てています。こういうところが五味の挑発的なレトリック(『文学』)なのではないでしょうか。

五味は芥川賞作家でしたが純文学を書く力量はなく、剣術小説などの流行作家として荒稼ぎした売文家で、手相学でも大家などと称して大人気でした。毛相学というのまでありましたか。あの当時は、野末ちんぺいとかいろいろ出て来て、東大教授までが負けじと「おんなへん」の教授とか、体位学者とかが登場しました。生半可な教養主義者や権威に弱い俗物が標的となって「学」が仇花に堕するのは今も同じです。

実は、私のこの感想文に、《五味は難聴を患っていてKT88の差し換え比較試聴する際には(石=ゲルマニウムの)補聴器をかけていた。その五味が「石」を一刀両断するとは片腹痛い》という趣旨のコメントが寄せられました。その方は、アマチュアですがジャズLP収集家で著書があるほどの方です。五味の難聴はよく知られた話しでこの人物のオーディオ論の毀誉褒貶のひとつでした(*)。

(*)参考までにこんなブログがあったのでご紹介しておきます。↓
     http://audiosharing.com/blog/?p=427

私も「倍音」というのは健常な聴覚でなければとらえられないと思います。また、生音(生のコンサートや自然音)を聴いていないと鍛えられない、それを聞きわける感性が鈍化してしまうのです。高域が耳につく(ハイ上がりに聞こえる)から高域をカットしてしまえ…というのはオーディオ論議としてあまりにも安易ですし、耳に心地よい人工音ばかりを聴いていては感性が鈍化するどころか、破壊されてしまう。そう思うのです。

この時にも、同じような趣旨のコメントをいただきました。

《タンノイ・オートグラフを手に入れ、もう生演奏は不要なんて思ったのは若気の至りだった。》《現代の最新鋭のシステムでも、一流のオケの音には敵わない。音質で較べるのは無粋なこと。》といったコメントです。《(一流の生演奏に触れられなかった)当時の日本は貧しかったのだ》とも。

また、《ウィーンまで行けとは言わずとも、地方のオケやアマチュアでも良い、ジャズコンボでも良い、生演奏を聴くべき》とのコメントもありました。《生演奏は素晴らしい》のだから。 そしてこの方は、長野県・松本で小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラでバルトーク「弦・打楽器・チェレスタの為の音楽」を初めて生で聴いたときの衝撃を語っていました。弦パートが6つ位に別れて演奏されている事をこの時初めて知った》《耳のせいなのか、オーディオ装置がだめなのか分からないが、CDを聴いていては分からない事だった》と。

私も、実はこの同じコンサートの現場にいて、同じような体験をしていました。弦を2グループに分けているのは知っていましたが、実に細かく他の各楽器とともにその配置がスコアに指定されていたのです。この曲の、最後の最後でチェレスタ奏者がピアノに移動して2台のピアノが演奏されるのです。スコアを確認してみると、その通りなので、あっと驚いたのです。

こういうディテールがCDなどには入っていないと言っているのではありません。体験や知識不足で、それらが入っていても聴き取れない、システムがそれを再現できるようにチューニングされていないということなのです。ディテールばかりではありません。音色の変化や陰影、フレージング、音程、和声、テンポの揺らぎなど音楽の様々な要素、作曲家や演奏家の霊感にまで波及することです。それを感じ取り情感豊かに受け止める感受性の問題。そういうことが《音楽性》ということなのではないでしょうか。

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  1. 高度成長の時代に文学とオーディオと麻雀(そういえば~放浪記のルーツは阿佐田哲也でした)と、まさに享楽の極地を生き抜いた先人・奇人の代表の一人でありますね。
    いつの時代も遊び人は本質を知ってますから、麻薬的エンターテナー的フレーズを上手に切り取って今でも面白がるスタンスはとても楽しいですが、盲信してしまうのは危険ですね。肝心のアーチスト本人ですら変人が多いですし。

    byにら at2015-09-03 22:13

  2. にらさん

    やっぱりこういうのは、例え半ば真実を言い当てているとはいえカリスマのご託宣みたいなところがありますね。マインドコントロールに引っかかってしまってはいけません。

    オートグラフが本来の音が鳴るようにするには10年かかるというような話しはまるで精神修養みたいな話しです。3日ぐらいでちゃんと鳴らすことができるようにコツを教えるのが「評論家」じゃないですかねぇ(笑)。

    まあ「時代」のようなものを楽しみつつ、趣味の楽しみ方のヒントを得る。読んで大いに楽しむところもあります。まさに「文学」ではないでしょうか(笑)。

    byベルウッド at2015-09-03 22:35

  3. ベルウッド さん、こんばんわ。

    30数年前オーディオに目覚めた?頃この本を購入。

    オーディオは難しい物だなと思った記憶があります。
    始めた頃だったので、知らないメーカーの名前が並び又音楽を聴く
    に当たり精神的と言うか、ただただボンヤリ音楽を聴いている事が
    悪く感じたりしました。

    でもその当時知らないメーカーでも雑誌とかで調べ到底手に入れる
    ことの出来ない(経済的)機種に憧れタンノイとは、オートグラフ
    とはどんな音がするんだろうと想像してましたね。
     
     

    bytomochin at2015-09-05 00:14

  4. 学生の頃か社会人になりたての頃?にこの本を読んだ記憶がありますが、当時は学生オケの中で演奏を楽しんでいる時期でしたので、正直なところ文士の自慢話を書き綴ったエッセイの類に思えて余り感銘を受ける事もなく、古本屋で売り払ってしまいました。

    当時の小生のオーディオ再生レベルが、演奏者としてステージ上で聴こえる音と、聴衆として2階席で聴こえる音とは全くかけ離れたものだったのもあるでしょう。

    でも、日本にはタンノイファンが数多く居るのは、この本が憧れを掻き立てたこともあるでしょう。

    by椀方 at2015-09-05 08:50

  5. tomochinさん

    懐かしいですよね。こういう雑誌や本が、ある種日本独特のオーディオ・ジャーナリズムとでもいう文化を創り上げたのでしょうね。クラシックの一種鼻持ちならない「教養主義」をオーディオにまで持ち込んだ五味の功罪ですね。中味は『教養』としてはかなり空疎ですが…(笑)。

    これで分厚いカタログみたいな雑誌を眺め、こんな精神学的オーディオ本を読んでため息ばかりという珍妙な「オーディオ趣味」がいまだにはびこっています。おいおい、本ばかり読んで聴いてんのかよ!?…みたいな(爆)

    byベルウッド at2015-09-05 09:37

  6. 椀方さん

    タンノイのブランドイメージを造ったのは間違いなくこの五味でしょうね。

    英国人の義弟に「タンノイはどうよ?」と聞いたことがあるのですが、タンノイにはハイエンドオーディオというイメージはないそうです。英国人にとってタンノイとは、駅構内とか学校放送用のスピーカーなんです。だから高級感が持てないし、人気もない。

    それだけに人声をよく伝える中低音の魅力はあります。スタジオモニター用といっても放送局のアナウンサーモニターなんでしょう。けっして録音スタジオのモニターではないようです。基音域に焦点をあてて帯域をうまく作っていますね。そこが魅力の歴史的名器がモニターレッドなどなんだと感じます。現代にも通用するJBLやアルテックとは明らかに違います。

    byベルウッド at2015-09-05 09:48

  7. ベルウッドさん、ご無沙汰です。
     私もこの本と出会いました。
    そもそも、私はオートグラフとの出会いが最初で、当時、1982年ごろだったか、大阪阪急百貨店でイングスで、 オートグラフから奏でる、そこにいるかのような不思議な表現に戸惑った。それから、オートグラフの音が頭から離れず何回出向いた事か? これが自分の本当に好きなものとの最初の出会いだったように思う。  
     この時、悪夢のオーディオ人生が始まりました。 その後、直ぐにタンノイスピーカーBarmoralを経てEdinburghを購入する。そして、五味康祐の記事に出会い、この本とも出会った。
     五味氏のあの表現する音が自分の頭の中で具現化する。次に、M&A TVA-1導入、続いてLINNSONDEK LP-12 ,UESUGI U-BROSS-1ととにかく揃えたが、音が無茶苦茶だ。悪戦苦闘の連日だった。体調も大幅に崩したのは、丁度その頃だった。
    それ以来、自分だけを信じて理想の五味康祐の云うあの表現を目指した。タンノイにしか表現できないあの音を。あの時のオートグラフとの出逢いがなければ今の自分は無い。また違った生き方をしているだろうと思います。
     五味康祐  音を知る ← 長い文章ですが、 http://www.audiosharing.com/people/gomi/kyositu/kyou_01_1.htm

    byavidoso at2016-02-21 13:03

  8. avidosoさん

    レスありがとうございます。

    五味康佑氏のこういう評論は70年代~80年代前半にかけてのものですね。そういう時代を懐かしく思い出されますね。

    byベルウッド at2016-02-21 23:33

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