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日記

河村尚子 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ・プロジェクト

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2018年05月31日

河村尚子が満を持してベートーヴェンのソナタ連続演奏をスタートさせた。



全4回におよぶピアノ・ソナタ・プロジェクトは、日本では、横浜市青葉台・フィリアホール、山形県・白鷹町文化交流センターあゆーむ、東京四谷・紀尾井ホール、そして、兵庫県西宮市・兵庫県芸術文化センターで行われる。



ベートーヴェンのソナタは、若手が中堅へと成熟・成長する過程で一度は挑戦したい大高峰の山脈のようなもの。日本人で最近では、2014年の小菅優のシリーズが記憶に新しい。その小菅に較べて、年齢からしてもそのキャリアからしても、河村はむしろ慎重だったと言えるかもしれない。まさに「満を持して」のキャッチフレーズにふさわしい。

大いに期待していただけに、紀尾井ホールでの公演を楽しみしていたが、あいにく他の予定と重なってしまった。そこで久々にフィリアホールに先行して足を運んでみた。その期待に違わぬ素晴らしい感動をもらった。

河村のベートーヴェンは、とても楽譜に忠実。厳格といっても言い過ぎではないと思う。それでいて河村の持ち味である、高音の自由で伸びやかな響きと、天を突くような高揚感に満ちたベートーヴェン。

「楽譜に忠実」という点で、顕著だったのは「悲愴ソナタ」の冒頭序奏部のハ短調の主和音。



ここにはピアノ奏法としては不可思議なfp(フォルテピアノ)がついている。音の頭出しだけf(フォルテ)で急に弱めてp(ピアノ)の長音でそのまま伸ばす。管楽器ならばタンギングでいとも簡単に実現できるし、オーケストラならベートーヴェンの交響曲第4番の序奏部のように弦のピッツィカートと管楽器の長音を重ねることで実現できる。

ピアノではいったいどのようにこの強弱を表現できるのか?ピアノ奏法に詳しくないが、幾多の巨匠たちもたいがいは最初の打音と後はそのままの響きを保持することで表現している。タッチとノンペダルの繊細なコントロールはあるのだろうが、おおかたはff(フォルテッシモ)の和音とそう変わらない。ところが河村は、かなりはっきりとしたfp(フォルテピアノ)として演奏している。

河村は、こういう細かいけれど印象的な響きをよく考え込んで弾いている。以前も、ノリントン/N響との第4番のコンチェルトの冒頭開始も、楽譜通りの和音ではなくアルペジオで弾いていた。アルペジオでの開始は、最近、そういう弾き方をするピアニストが増えている。作曲当時の慣習なども踏まえた解釈だったのだろうと思う。

そういうベートーヴェン初期から中期にかけての、強弱のアクセントやクレッシェンド、デクレッシェンドと同調するテンポの起伏が実に自然な揺らぎとしてこの「大ソナタ」の大きな感情のうねりとなってこちらに押し寄せてくる。

この日のプログラムは、「悲愴」「月光」という有名な曲に組み合わせて、それぞれ第4番と7番という、いずれも4楽章の規模の大きな古典様式のソナタを置いている。そういう規模と形式のどっしりとして構成感が充実したソナタに対して感情の起伏の激しい曲で締めくくる。メインディッシュは濃厚だが器は引き締まっていて小さめ。そういうプログラムの構えもなかなか考え抜かれたものだと思えた。

最後の「月光」ソナタでも、河村の面目躍如。

このソナタは、そういう通称のもととなった第1楽章が突出して親しまれている。けれども河村はこの幽玄なアダージョを、人間の自由な感情のひとつの様相、小径として通過していく。それは雅楽や能楽の「序・破・急」に通ずる三部構成になっていて、日本の伝統芸能の根幹とも言えるが、やはり人類普遍の構成感覚なのだろうと思う。瞑目して瞑想的な表情を見せた河村は、楽章間のパウゼでも手を浮かせたままで緊張感を緩めようとせずに次の楽章へ進めるのだけれど、第二楽章では一転して楽しげな表情を見せる。その表情が一変して何かが取り憑いた鬼神のように険しい表情となったのが最後のプレスト・アジタート。この楽章にこそ、このソナタにおけるベートーヴェンの真骨頂が現れる。圧巻の終楽章だった。







河村尚子
「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ・プロジェクト」第1回(全4回)
土曜ソワレシリーズ《女神(ミューズ)との出逢い》 第272回
2018年5月26日(土) 17:00
横浜市青葉台 フィリアホール 横浜市青葉区民文化センター
(1階9列9番)

ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第4番 変ホ長調 op.7
ピアノ・ソナタ第8番 ハ短調 op.13「悲愴」

ピアノ・ソナタ第7番 二長調 op.10-3
ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 op.27-2「月光」

(アンコール)
ドビュッシー:「ベルガマスク組曲」より 月の光

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  1. 今晩は。

    昨秋、ベルウッドさんにお世話になって、河村/ホルヌングのブラームスのコンサートを聞かせて頂きましたが、ベートーヴェンのソナタが向いていると感じていました。やはり、そうなのですね。

    もう一つ、fpで思い出しました。一つのピッチカートにクレッシェンドとデクレッシェンドがついている楽譜を見て、トスカニーニが「馬鹿らししい」と切り捨てたことについて、アドルノが作曲家のファンタジーが分かっていないと批判していたことです。そういう意味で、河村はベートーヴェンのファンタジーを理解して表現しようとするタイプの演奏家なのでしょうか。

    byパグ太郎 at2018-05-31 23:18

  2. パグ太郎さん

    トスカニーニは、リアリストでファンタジーを信じなかったのでしばしばそういう切り捨て方をしたようですね。アドルネはよく知りませんが、逆にリアリティー不在のファンタジーを信じたのでしょうか。

    河村は、作曲家が記した以上はなんらかの奏法上の意味があって必ず実現できるはずだと考えるのでしょう。今回のfpは、明瞭にその通りになっていて、切り捨てでもなく、現実無視の精神論とも違う、そのどちらとも違っていて新鮮でした。とかくロマンチックな激情やファンタジーにされがちの有名曲からいかにもベートーヴェンらしい魅力とその時代の趣を引き出していました。

    byベルウッド at2018-06-01 08:37

  3. 小生はこの日曜日の兵庫県立芸術文化センターに聴きに行きますが、今回のベートーベンシリーズへの期待が高まってきました。

    by椀方 at2018-06-01 08:39

  4. 椀方さん

    ぜひご感想をお聞かせください。

    byベルウッド at2018-06-01 10:41

  5. ベルウッドさん、こんにちは

    椀方さんと同じく、アタシも3日のリサイタル聴きに行きます。
    こうして解説していただけると楽しみが増えます。
    ありがとうございます。

    byデーンちゃん at2018-06-01 15:56

  6. デーンちゃん

    西宮まで行かれているんですね。椀方さんとお会いできればよいですね。

    河村さんのベートーヴェン、ご堪能ください。

    byベルウッド at2018-06-01 21:04

  7. ベルウッドさん、思いがけずデーンちゃんとのコンサートオフ会になりましたね。
    感想戦をする時間が取れるといいんですが。

    by椀方 at2018-06-02 08:28