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日記

河村尚子 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ・プロジェクト|2

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2018年11月28日

河村尚子のベートーヴェンのソナタ連続演奏第2回。

今年5月の第1回も、ここフィリアホールで聴いた。そのベートーヴェンはあくまでも原譜に忠実。その細部の掘り下げと情感の強さによる高揚感が素晴らしかった。彫琢や感情移入といっても、決して演奏意匠の付加や自意識表現による逸脱ではなく、あくまでも楽譜に表記されていることの徹底した掘り下げであり表現技術の彫琢だった。



河村は、全曲演奏ということにはこだわらないという。おそらく彼女が目指しているのはベートーヴェンのソナタのみで構成されたプログラムを連続して集中的に演奏させることによって、ピアニストとしてその偉大なベートーヴェンの高みの連なりを踏破しようということではないか。そのプログラムビルディングには、ひとつひとつの山々の個性と尾根の続きを周到に読み込んだうえで綿密に計画された登山ルート設計のようなところがある。

1曲目は、第18番。ベートーヴェン中期を踏破する最初の峻峰。作曲の時期は、ハイリゲンシュタットで遺書を書いた1802年で、難聴という人生の危機に直面していた時。曲は、そういう雨嵐が吹くすさぶような悲壮感や闘争的なものではなく、むしろ晴天を仰ぎ見るような岩肌にがむしゃらにしがみついていくような創意と徹底した形式追究と規模拡大への挑戦がある。河村の演奏は、聴いていると、自虐的とさえ感じるほどの諧謔とひたむきなまでの斬新さがある。4楽章構成だけれど、中間の2楽章は溌剌とした演舞で、古典派伝統のメヌエットに先行してスケルツォを当てられているが、河村は乾ききった切れ味を見せる。

2曲目のワルトシュタインも、そういう午前中の晴れ渡った晴天の下を踏破していく明朗さがあるが、曲がりくねったごつごつした山道を行く感のあった第18番よりもむしろ劇的な視界が広がる一段と高い峰を真っ直ぐに目指すような壮麗かつ雄大な劇性を改めて感じた。こんな大曲であっても、前半のクライマックスとはいえ一日の踏破ルートの中間に過ぎない。河村のワルトシュタインは、中間の導入部を経るものの、そういう大曲ならではの終止符感を与えない疾走感で駆け抜けていく。



休憩を挟んでの後半は、昼下がり山の天候のように変化してきて空気が変わる。

「テレーゼ」は、そういう変化の表徴のような曲。しかも河村はそれをシューベルトを予言するかのように弾く。実際、思わせぶりな短い序奏と、それに続く叙情的な歌の断片と器楽的な断章の交代が続くところはシューベルトそっくりだし、ベートーヴェンの後期の作風の片鱗を見せている。腰を下ろしていた岩から立ち上がり、最後のピークへと続く啓けた尾根にはすでに風が強くなっている。そこに歩み出すような後半のアレグロ・ヴィヴァーチェは、あっという間に終わる。

最後の「熱情」は、ベートーヴェン中期をテーマにすえた第2回目の掉尾を飾る素晴らしい熱演だった。

実は「熱情」は、「テレーゼ」より4年も前に書かれている。「ワルトシュタイン」と並ぶ中期の頂点をなす傑作ソナタ。その後の休憩の目覚めに「テレーゼ」があったことで二つの大曲の緊張の間に緩やかな呼吸が生まれた。しかも中期末の書法の充実ぶりによって、「熱情」へと聴き手の気持ちの密度が高まっている。巧みな配列だと思う。

河村のテンポは、ここでも楽譜に忠実で見事なまでのアレグロ・アッサイ。私はこの時代のエラールのメカニズムとその音を知っているわけではないが、河村のタッチは音符の一つ一つが明瞭で粒立っていて、おそらくこの時代の楽器を踏まえたものだろう。豪放放埒なほどの速さではないが、その指遣いは恐ろしく速く感じる。それがある種の独特の高揚感をもたらす。終楽章のアレグロ・マ・ノン・トロッポは、さらに抑制されたアレグロだけれど、その細かなタッチのひとつひとつが均質でマッシブでしだいに熱を蓄えて高揚していく。途中でペダルを踏み込む激しい音が響いたが、それほど河村には激情が取り憑いていたということだろうが、テンポはあくまでもインテンポ。それが最後の最後でプレストに切り替わり破裂する。

河村の新境地とも思えるベートーヴェンだった。







河村尚子
「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ・プロジェクト」第2回(全4回)
土曜ソワレシリーズ《女神(ミューズ)との出逢い》
2018年11月17日(土) 17:00
横浜市青葉台 フィリアホール 横浜市青葉区民文化センター
(1階13列9番)

ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3
ピアノ・ソナタ第21番 ハ長調Op.53「ワルトシュタイン」

ピアノ・ソナタ第24番 嬰ヘ長調Op.78「テレーゼ」
ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調Op.57「熱情」

(アンコール)
ベートーヴェン:エリーゼのために

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  1. ベルウッドさん
    小生が西北で聴いた時の感動が蘇ってくるような素晴らしいコンサート評ですね!!
    2000人
    収容の大ホールではどうか?と開演前には思いましたが、どうしてどうして。
    大ホールの空間いっぱいに広がる音が、まるでミストのように光り輝き舞うようでした。

    春の第1回の時よりもベートーベンを随分弾き込んできたように感じました。
    どんどん進化していくのが楽しみです。

    同じ演目を小ホールだと違う弾き方になったのかも知れませんので、やや小さめのフィリアホールの弾き方と聴き比べするような、贅沢なことをいつかやってみたいですねー!?

    by椀方 at2018-11-29 12:33

  2. どんぐりさん

    ステレオ時代のケンプはもう老齢で技巧的に重くなっていましたね。ケンプではピンと来なかったというのはよくわかります。若い頃のケンプというものをもっと聴いてみたかったです。私自身はモノラル時代の「ハンマークラヴィール」にぞっこん惚れていました。

    一方で、ホロヴィッツに感動されたとのこと。これもよくわかります。ホロヴィッツのベートーヴェンは、戦後の日本の楽壇のヨーロッパ偏重と米国で活躍した音楽家への偏見から、表面的な華やかさを強調され過ぎて不当に無視されました。

    実は、前回の河村さんの「月光」で私も想起したのは、誰あろうホロヴィッツの演奏でした。

    ベートーヴェンというのは、先ず以て、超絶技巧なんです。まず、そこのところがちゃんとベースとしてないと、単なる権威主義になっちゃいますよね。

    byベルウッド at2018-11-30 10:23

  3. 椀方さん

    ありがとうございます。

    実は、昨夜、今度は紀尾井ホールでまったく同じ公演を聴いてきました(笑)。

    フィリアホール(500席)と、紀尾井ホール(800席)。席数で言えばわずかな差かもしれませんが、やはり、差はありました。

    byベルウッド at2018-11-30 10:27

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