日記
「ドビュッシー―想念のエクトプラズム」(青柳いづみこ著) 読了
2019年02月02日
パグ太郎さんの紹介で「ドビュッシー最後の一年」を読もうとしたら、新刊なので図書館にまだ入着していない。それを待つ間にでもと、著者の他のドビュッシー本でも読んでみようかと先行して読み始め、後を追うように「最後の一年」を読み始め、いつしか読み終わったのが後先になってしまったというのがほんとのところ。
演奏でも著述でも大変なドビュッシー・マニアの著者の渾身の力作。いつもは洒脱な筆致で音楽の機微をえぐり出す著書にしては本格的な「ドビュッシー論」となっている。それもそのはずで、本著の内容は、もともとは著者自身の博士論文なのだそうだ。それを土台に、ドビュッシーとオカルティズムについて論じた未発表の論考を加え、一般読者向けに書き下ろしたもの。
著者が発している謎かけは、なぜ、ドビュッシーには未完の作品が多いのか?ということにある。中には音譜としてほとんどまったく未着手のものが多い。その最大のものが、アメリカの作家エドガー・アラン・ポーの「アッシャー家の崩壊」のオペラ化だった。未完だったのは作家の気まぐれでも、怠惰でもない。それは10年近くも取り組み、片時も放置することなく死の直前まで難渋していた。
著者は、それを言葉、あるいは文学と、音楽、作曲との矛盾と対立なのだと説く。ドビュッシーがなぜこれほどまでに、『音と言葉の問題』についてつきつめて考えたのか?それはドビュッシーが文学者の仲間うちで青春時代を送り、常に文学青年のような発想をはぐくんできた作曲家だったからだという。
文章を書くときに文法のことなど問題にならない。問題は、いつも、何を書くか?であり、何をどう書くか?である。言葉の扱い方そのものは、ある程度のことは誰でも知っている。ところが、音楽はそうはいかない。音楽の場合は、幼児から訓練を受け、秘法めいた音楽言語とその操作を習得しなければならない。音楽とはそういう専門家の業であり、作曲であれ演奏であれ、常に技術が内容に先行する。文学に無作為や暗喩、日常・非日常を求めることはできても、それは音楽にそのまま移し替えることはできない。ポーが内包する恐怖や倒錯を、音楽で伝達しようとすればするほど、ドビュッシーの音楽の美学は崩壊してしまう。ドビュッシーは絶えず、そういう矛盾に苛まれ、二重人格者のようにまったく別の芸術的自我が対立し葛藤し続けていた。
近代まで、貴族やブルジョワなど富裕な社交な場と密接だった音楽の世界で、貧困子弟には無縁のはずの音楽教育を受け、その中でヴェルレーヌやボードレールなどの詩人たちと不意のニアミスを起こし、背徳、退廃の世紀末文学とその美学の世界にどっぷりと浸っていたドビュッシーの生い立ちの秘密などを執拗に追った前半部もなかなかに興味深い。家庭の貧困の原因となった父親のパリコミューンへの関与、そのために投獄され、そこでの出会いがドビュッシーのピアノの才能を開花させるきっかけとなったこと…などなど、ドビュッシーの一代記としてもなかなかに読ませてくれる。
ドビュッシーの音楽にある、漠然とした空白や茫漠とした欠落感は、そういう文学的裏面性の反映であり、それがまた、ドビュッシーの音楽の魅力なのかもしれない。

ドビュッシー―想念のエクトプラズム
青柳いづみこ 著
東京書籍
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ベルウッドさん
今日は。ご紹介の本、未読でした。青柳さんらしい問題設定と仮説ですね。この拘りがポー生誕200年の2009年の『アッシャー家の崩壊』の断片復活上演につながっていたのですね。さらに遡れば、青柳さんの祖父、瑞穂氏の影響もあるのかもしれません。
自分のいい加減な感想で言いますと、ドビュッシーにはゴシック・ホラーは狂気と恐怖が直接、かつ具体的過ぎて、歌詞の付き音楽にはできなかったのではないかと思っていました。メーテルランクのような象徴主義のなんだか良く分からない摩訶不思議な「うすら寒さ」くらいがちょうどよかったのだと。せめて、ピアノ曲か、管弦楽曲であれば、どうにかできたかもしれませんね。
byパグ太郎 at2019-02-03 12:13
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パグ太郎さん
>青柳さんの祖父、瑞穂氏の影響
アメリカの作家ポーをフランスに紹介したのはボードレールだと言われています。ドビュッシーは、貧困家庭の育ちゆえに若い頃は綴りも間違いだらけと言われたほど教養が低いから英語は苦手だったそうです。当然に、ポーとドビュッシーの間には《翻訳》というものが介在する。文学と音楽にも一種の《翻訳》がある。実際、ドビュッシーは「アッシャー家の崩壊」では、ほぼ一字一句原作に忠実だった「ペレアスとメリザンデ」とは違って、台本ではかなりの改変を行っているそうです。青柳さんはフランス文学者の孫として、かなりこの《翻訳》という介在を意識していると思いました。
>ドビュッシーにはゴシック・ホラーは狂気と恐怖が直接、かつ具体的過ぎて
これも鋭いご指摘ですね。青柳さんによれば、「スカルボ」を書いたラヴェルのような音楽はドビュッシーは書けなかったし、なによりもそういう、いかにも…という効果音楽を嫌っていた。かと言って、それに変わりうる音楽はどうやっても思いつかなかった。
その葛藤がドビュッシーの晩年であり、未完の「アッシャー家の崩壊」だというわけです。ここは、同じ赤貧の駆け出し時代を経験していても、もっぱらラジオドラマの効果音や映画音楽で糊口をしのいだ武満徹とも決定的に違うところですね。
byベルウッド at2019-02-03 13:34
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キタさん
>ちょうど「月の光」を聴いていたところでした
え?それはすごい偶然ですね。確かに、キタさんが「月の光」を聴く瞬間というのは少ないでしょうからね(笑)。
偶然ついでとはいえ、私は、昨夜、「フォーレ・アルバム」というCDを聴いていて、そこではチェロ&ピアノ版の「月の光」を聴いていました。
「月の光(Clair de lune)」は、ドビュッシーもフォーレの歌曲もいずれもヴェルレーヌの詩に由来しています。別曲ですが、ドビュッシーも若い頃にその詩にもとづいた歌曲を作曲しています。そして、その歌曲こそ、ドビュッシーの音楽教育と文学への深い傾倒という謎を解く大きなカギになっています。私は、そのことを本書で初めて知りました。
ドビュッシーは、しばしば「印象派」と呼ばれ、本人はそのことを否定し嫌っていたようです。それは「印象派」というものが示唆することへの反感とか嫌悪もあるかもしれませんが、絵画芸術と自分の音楽を関連付けられることに苛立ったのではないでしょうか。葛飾北斎の版画デザインの楽譜表紙で有名な交響詩「海」も、《海の描写》と見なされることを否定しています。描写音楽として作曲していれば、もっと世俗的な成功をすぐに勝ちとっていたと思いますが、それを彼は最も嫌っていたのですね。彼の音楽は、あくまでも言葉や詩文との対比だったのです。
byベルウッド at2019-02-03 14:05
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