日記
「音楽は音のないところに生まれる」――ジャン・ロンドー
2019年02月19日
先日、NHKBSの早朝に放送されている「クラシック倶楽部」をのぞいたら(ビデオ再生ですが)、ジャン・ロンドーという若いチェンバロ奏者のリサイタル収録が放送されていました。

ジャン・ロンドーは、1991年パリ生まれで、パリ国立高等音楽院でチェンバロを学んだ俊英です。すでに21歳でブルージュ国際古楽コンクール・チェンバロ部門で優勝するなど、若くして頭角を現し、ジャズも演奏するなど話題の演奏家なのだそうです。
放送では、演奏に先立ってインタビューが映し出されていました。こういうインタビューは何もロンドーだけに限ったことではなく、この番組の面白い部分なのですが、このロンドーの話しは特に面白かったのです。

ここでは『チェンバロの魅力について』というテーマで語っています。
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チェンバロを「うまく歌わせる」ためには繊細さが必要です。
この楽器は、一度鍵盤を押してしまったら、音をコントロールすることができません。
鍵盤に触れる前後の一瞬の音の切れ目が演奏の鍵を握るのです。
ほとんど気づかれることのない音の切れ目―無音の瞬間によって、繊細な響きが生まれるのです。
「大きな波の中の一滴の水音を聴くようなもの」と言えるかもしれません。
繊細な感覚に訴える響きが、まさにチェンバロの魅力だといえます。
音のない一瞬が、チェンバロの「歌」を奏でるのです。
音楽をより深く考える過程でわかったことです。音楽は音のないところに生まれるのです。
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何と含蓄深く、そして、美しい言葉でしょうか。
そして、そのチェンバロの魅力や音、音楽そのものについて語っていることは、それはそのままオーディオにも通じるような気がします。
番組では、本人の即興による短い前奏曲が演奏された後、続けて「ゴールドベルク変奏曲」が演奏されました。一昨年の4月に東京文化会館小ホールでのリサイタルで収録されたものだそうです。とても正統で端正なフォルムと構成力、正確で心地よいアーディキュレーションの演奏でありながら、即興性に富んだ生きたバッハです。楽譜を見ながらの演奏は、おそらくそうした方が一瞬一瞬の即興のひらめきが表出しやすいというイザベル・ファウストの言い分と同じなのだと思いました。
この若手は注目です。
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ベルウッドさん こんばんは。
ロンドーは私のお気に入りの演奏家の一人で、Dynastieというバッハ父子のチェンバロ協奏曲集のLPは愛聴盤の1つなんです。
という事で、自分の事ではないのですが、ロンドーが紹介された事が嬉しくなってレスさせていただきました。
>音のない一瞬が、チェンバロの「歌」を奏でるのです。
かっこいい!そしてロンドーが語るからこそ説得力もあるし奥深い。
学指揮やってた頃に指揮法の先生が仰っていた「オケは休符で歌わせるんだよ。音と音、そして休符の紬あいが、ただの音を音楽にしてくれるんだ。」という言葉を思い出して、なんだか懐かしく思いました(*^^*)
bymiya at2019-02-19 19:17
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miyaさん
レスありがとうございます。
ロンドーにすでに注目されておられたのですね。
オーディオでは、こういう一瞬の無音の再生がとても難しいです。やはり機器のSNなどのスペックの高さが求められます。特に、プリアンプのSNと過渡特性ですね。瞬時の立ち上がりと立ち下がりを突き詰めないとなかなかこの無音の瞬間が訪れてくれません。
byベルウッド at2019-02-20 10:31
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今晩は。
名前とジャケット写真だけは知っていましたが、風貌と、エラートの「サイケデリックなバッハ」という売り文句に恐れをなして、全くフォローしていませんでした。
でも、引用頂いた言葉は本当に美しく、深く、これだけで既に感動的ですらあります。遅まきながら、聴いてみようと思います。
byパグ太郎 at2019-02-20 19:40
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パグ太郎さん
興行やソフト販売で、売らんかなと耳目を集めようとするあまりキワモノのように宣伝するのは本人にとって迷惑でしょうね。最近のクルレンツィス騒動は、それでもねらい通りにことが運んでいるようですが、ロンドーはそれが裏目に出たところもあるようですね。グルダも当初はかなりキワモノ扱いされていました。ロンドーは、グルダと同じように、ホンモノだと思います。
byベルウッド at2019-02-20 20:14
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