日記
オペラ『紫苑物語』/西村 朗
2019年02月20日
新国立劇場の新作オペラ『紫苑物語』(作曲:西村 朗)の初演・開幕に行ってきた。
日本人作曲家による新作オペラの上演は、新たに芸術監督に就任した大野和士の執念のようなものだったらしい。そのことにふさわしい大作オペラの誕生だった。

『紫苑物語』は石川淳の小説を原作に、作曲家(西村朗)、台本作家(佐々木幹郎)、演出家(笈田ヨシ)、監修者(長木誠司)に、大野和士が自ら加わって、議論に次ぐ議論を重ね、アーティストの創意がぶつかり合う濃密なリハーサルを経て、この初演に至ったという。リハーサルでもいくつもの細かい総譜の変更を加えられたそうだ。
作曲の西村朗は、「N響アワー」の軽妙な司会ぶりでおなじみだが、これほど大規模な楽曲とオーケストラを聴くのは初めての体験だった。和の伝統の技巧的な音楽というよりは、濃厚な情念を二十世紀のロマン派末期の無調的、旋法的な手法の壮大な音楽で大変な力作。ただ、日本語の歌唱化ということでは、創意創造力に欠ける。これは、後述するが台本の責に帰するものだが、このことに限らず全体に既成の手法に終始し、エンタテインメントとしては大成功だが革新性には欠ける。

演出は、現代オペラの舞台として素晴らしいものだった。演出家の笈田は、演出家・俳優としてフランスを中心に活躍し、多くのオペラ演出も手がけてきたという。いかにもグローバルな感覚での演出は、和の伝統や日本人の抑制的な趣向を意に介さない大胆な演技や性愛描写を駆使しながらも、不思議とおどろおどろしい平安時代の情念や魔界幻想にマッチした情景・情感描写となっていたのが見事。

美術、衣装、照明は、その笈田が信頼するデザイナーを海外から招致した外国人スタッフによるもので、衣装デザインも決して日本人の時代衣装のステロタイプにはまらない自由な発想となっていた。装置技術や場面転換等に現れる多数の黒子たちの多用など、新国立劇場の装置や技術、優秀なスタッフを駆使した動と静に満ちた幻想的なステージとなっていた。
歌手陣も体当たり的な歌唱による演技で、その力演に敬服の拍手を惜しみなく送りたい。合唱はいつもながらの充実ぶりで何も言うことがないレベルで大満足。
残念なのは、台本で、日本語の美しさや深みがいささかも感じられない。日本語の歌謡性や詩的な韻律を表出させようという文学的な創意に決定的に欠けているので、せっかくの音楽が工夫されないまま、歌唱は管弦楽から浮き上がり、音楽化を放棄したような傍白の地文には珍妙な音高の抑揚がつけられていて聞くに耐えない。多少なりとも音楽らしく仕上がっていたのは意味のないオノマトペのような言葉だけで、これもかなり冗長に過ぎて物語りを停滞させた。筋書きの支離滅裂さは、歌舞伎など娯楽演劇にあることなので見過ごせるとしても、やはり日本語そのものが低劣なのは致命的だ。
特筆したいのは、ピットの大野和士と都響。これだけの規模の大きな難曲を、しかも、初演初日でここまでやりきってしまうということには改めて驚愕した。ピットから放射される気配の持つエネルギーからして、ふだんの新国立劇場では感じられない。大野の力量とその手兵の集中力をこうまでまざまざと見せつけられると、このオペラハウスに徹底的に欠けている座付きオーケストラというものへの渇望がまたまたよみがえってきてしまった。
日本語による創作オペラとして、そのエンタテインメント性は大成功とも言えるほど完成度が高い。しかし、今後の日本語オペラの創造を触発し主導していくような革新性や芸術的な深度という点ではその評価は相当程度に留保したい。
新国立劇場 2018/2019シーズン
オペラ『紫苑物語』/西村 朗
[新制作 創作委嘱作品・世界初演][全2幕/日本語上演/字幕付]
2018年2月17日(日) 14:00
東京・渋谷区初台 新国立劇場 オペラパレス
(1階 6列14番)
■原作:石川淳
■台本:佐々木幹郎
■作曲:西村朗
■指揮:大野和士
■演出:笈田ヨシ
■美術:トム・シェンク
■衣裳:リチャード・ハドソン
■照明:ルッツ・デッペ
■振付:前田清実
■監修:長木誠司
■舞台監督:髙橋尚史
■キャスト:
宗頼:髙田智宏
平太:大沼 徹(ダブルキャスト 2/20,23は松平敬)
うつろ姫:清水華澄
千草:臼木あい
藤内:村上敏明
弓麻呂:河野克典
父:小山陽二郎
■合唱:新国立劇場合唱団
■管弦楽:東京都交響楽団
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今晩は。この週末は、連夜の劇場通いでいらしたのですね。
私は日本のオペラ作品はどうにも居心地が悪くて、何時も敬遠してしまいます。先ず、劇作品としてのエンタテイメント性の欠落、観客を喜ばせてやろう、とか、度肝を抜いてやろうという舞台人に必須な下心が、どうにも感じられないのです。と思っていた所に
>エンタテインメントとしては大成功
という思いがけないお言葉を拝見して、驚きました。
先ずはそれがある事が稀有な話で、それだけでも存在価値があるかと。歌舞伎が伝統芸能でありながら、怪しいエネルギーと魅力と革新性を維持できているのは、そこだと思うのです。
byパグ太郎 at2019-02-20 21:09
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パグ太郎さん
私も、邦人オペラはどうも苦手で敬遠してきました。
今回は、新制作ものということと、大野和士と都響がピットに入るということもあって出かけました。招待席らしき、中央通路には堤剛元桐朋学園大学学長などお歴々がずらり。新国立の委嘱だけに相当に日本の音楽界の権威を結集したような作品のようです。
その意味で、かなりお金も存分に注ぎ込まれたという印象です。今のクラシック聴衆は、二十世紀半ばのアヴァンギャルドなどは全くのエンタテインメントとして受け入れるので、客席は大うけでした。私個人としても三管編成の大オーケストラの技巧的な音楽は大いに楽しめました。
そういう作品のなかで台本の佐々木幹郎氏もそういう権威の世界ではトップクラスのようです。評論などの著作も多く、日本では本職だけで自立できている希有な詩人なんだそうです。西村朗氏とも合唱曲などでタッグを組んでいるようです。それが、なんでこんな格調の低い日本語になっているのか理解に苦しみました。もしかしたら、エンタテイメントとしてサービスに徹するためにかえって無理に平易さ、口語口調に徹しているのかもしれません。昨今のNHKのアナウンサーの口調に違和感を感じている私が旧いのかもしれません。
byベルウッド at2019-02-20 22:50
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