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日記

ベートーヴェン生誕250年の日 (田部京子ピアノ・リサイタル)

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2020年12月20日

田部京子さんが、浜離宮朝日ホールで続けているドイツ・ロマン派のリサイタルシリーズ『シューベルト・プラス」の特別編。

7月に予定されていた第7回が中止となったのですが、チケットの払い戻しの連絡がないまま、どうなることかとやきもきしていたら、突然にこの「特別編」開催がアナウンスされ7月公演のチケットはそのまま使えるとのこと。半信半疑のままに当日を迎えたというのが正直なところです。



この12月16日というのはベートーヴェンの誕生日。

新型コロナの世界的感染拡大という未曾有の事態で、生誕250年のベートーヴェン・イヤーは散々なことになりましたが、私にとって、その掉尾を飾るにふさわしいリサイタル・コンサートでした。

ベートーヴェンというのは、私にとっては卵の殻を破って外界に出て初めて出会った音楽みたいなものです。5歳の頃に幼稚園から帰ってきて、いま聴かされてきたのはこの曲だったとレコード棚から引っ張り出したのがホロヴィッツの「月光ソナタ」。好きでよく聴いていた母親を喜ばそうという下心もあったのでしょう。

250年というと途方もなく長いようですが、思えば私自身は、ベートーヴェンと出会ってからすでにその4分の1を生きていることになります。長ずるに及んで、ベートーヴェンを何かと鬱陶しく感じはじめ、いつからか距離を置くようになったのは、どこか人間の親子関係とも共通するのかもしれません。その回帰の出会いの年となるはずだった今年は散々なことになりましたが、それだけに不思議と思いは募り、ここのところベートーヴェンをよく聴いていて、あらためていろいろな気づきがあってちょっと驚いています。



ステージに登場した田部さんはいつにもまして大人のシックな装い。表情にも少しばかり緊張した色合いが浮かんでいます。ベートーヴェンというものは、演奏家にとってそういう居ずまいを改めるような重圧があるのでしょうか。しかも、この夜は、あの最後の3つのピアノソナタ。

田部さんの最後の3つのソナタは、とても独特のものでした。とても田部さんらしいベートーヴェン。

初めは、弾きにくさというのか、入りにくさというのか、どこか重たいものを感じます。特に左手の強奏は重くてなかなか抜けていきません。技巧力というのか、技巧の耐力というのか、そういうものに思えたのですが、楽章や曲が進むと次第にもっと精神的な重みみたいなものだと気づかされました。

最初のシューベルトのアダージョがあって、それが終わって拍手のないまま作品109のあの美しい断片の連なりが開始されます。それはとてもうまくいった。でも、すぐに難解なアダージョ・エスプレッシーヴォで中断される。続くプレスティッシモはもっと弾きにくい。そこを突き抜けたところに、あの内省的で沈潜するような美しさに満ちた変奏曲が続くのです。

作品110は、シューベルトの助走がなくても、入りばなが優しいメロディの主題があって入りにくさは小さい。でも、主題が半分に裁ち切られ、それを果てしなく拡大された断片が交替するのは、情緒が分断されるようでやはり入りにくい。そういうところはスケルツォ風の第2楽章も同じ。どこか理不尽な分断を感じさせます。それを越えたところから始まる終楽章が見事でした。切々とした歌から滴り落ち、流れ出した水が渓流を流れ落ちるように続くフーガに翻弄されて、その浮遊感覚は果てしない長さに感じられました。

圧巻だったのは、最後の作品111。

ここのところベートーヴェン・プログラムといえば、ハ短調とハ長調の組み合わせが続きましたが、まさにこの2楽章だけのソナタはハ短調とハ長調。

この第一楽章は誰だってベートーヴェンのハ短調のように悲愴な決断を示すようにマッチョに弾きます。でも田部さんの冒頭はまるでダイブ。柵を越えて飛び込んでいくような美しい落下。悲愴感のなかに自ら動いて働きかけていくという自動的なベートーヴェンではなく、あちこちに陥没した穴や、崩落の傾斜面が待ち構える世界を、何か手がかりを求めて奔走させられるような激しい動きだけども、それは流浪と彷徨の音楽。

そして、一瞬の意識喪失から目覚めると、そこには果てしない彼岸の世界が開けている。

繰り返される変奏曲は、果てしない幻想の世界。没入して夢見心地で聴いていると、第4変奏の細かい32分音符の連なりから、おびただしい数の細かい枯葉が風に舞う情景が頭に浮かび、その枯葉がすぐに雪に変わり辺り一面が雪原に変わり、そこに渡り鳥の群れが飛翔し舞い上がる。そういう幻想からふと覚醒すると、そういえば先の第3変奏は、早春に咲き乱れる花の舞いや、盛夏に躍動する動物たちの跳躍だったのかとも思えてきます。この曲を聴いていて、そういう幻想幻影にとらわれたのは初めて。そこからは生命の無窮常動の細動を感じさせる長い時間が続き、最後は何かが尽きるように寂しい静寂が訪れていました。

鳴り止まない拍手に応えたアンコールは、アヴェ・マリア。ここのところアンコールの〆として演奏する吉松隆さんの編曲のもので、おそらくこの夜には特にアンコールは用意しておられなかったのだと思います。けれども、この夜、このショートピースはひときわ美しい祈りの曲となって心に染みいりました。





シューベルト・プラス特別編
田部京子ピアノ・リサイタル
《ベートーヴェン生誕250年記念》
2020年12月16日(水) 19:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階12列18番)


シューベルト:アダージョ ホ長調 D.612
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 ホ長調 p.109
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 Op.110

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 Op.111

(アンコール)
シューベルト:アヴェ・マリア(吉松隆 編)

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  1. ベルウッドさん

    コンサートいいですね
    随分前に家人ともう名前も記憶にありませんがピアノリサイタルに行ったことがあります。主役の若いピアニストに失礼だったんですがその時招かれていたバイオリニストの名前は海野さんだったのは覚えていましてバイオリンに感動しました。

    六本指のゴルトベルグが今日アマゾンから届いてチェリビダッケの田園をリピートしながら読了しました。最初厳しいかなと思ってましたがすっかりハマってしまって一日で読み終えました。
    門外漢の私にもクラシック業界が垣間見えた気がします

    それから何と言ってもラインベルガー教授の「覚えておいた方が良い・・・悪魔の道は神の道のすぐ隣を通っているんだ。」はどの業界に言えるなと思いました。
    今日一日、田園でこんなに癒されるなんて世界が広がった思いがあります。
    ありがとうございました

    by雑居ビル at2020-12-21 22:27

  2. 雑居ビルさん

    「海野さん」というのはもしかして海野義雄さんのことでしょうか。

    だとしたら、ほんとうにずいぶんと昔のお話しですね。とても懐かしいです。海野義雄さんはNHK交響楽団のコンサートマスターでした。私が小学生~中学生の頃です。

    独特のヘアスタイルと黒い絹のソックスの足もとが目に焼き付いています。若くして日本第一の名門交響楽団のコンマスに就任。天才ともいうべき素晴らしいヴァイオリニストでした。

    …が、N響の小澤征爾ボイコット事件の当事者でもあり、何かとヒール役にもなってしまったひとです。

    その後、芸大教授に就任しましたが、いわゆる「芸大事件」というヴァイオリンの名器ガダニーニの贋作を弟子に斡旋したということでスキャンダルとなり収賄罪に問われて有罪となりその職から放逐されました。ご紹介した本書にも、実名は伏せていますが贋作にまつわる有名な事件として、このことが書かれていましたね。

    まさに「悪魔の道は神の道と隣り合わせ」というわけです。

    海野さんは、一時はパリに移住しましたが、その後、楽界に復帰、帰国して音楽活動を再開されていたようです。

    byベルウッド at2020-12-22 00:41

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