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日記

「世界の指揮者」(吉田秀和 著)再読

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2021年01月05日

あえて「再読」としたのは、どれもどこかで読んだという気がしているから。とはいえ、一冊にまとまった形で読むのは初めて。朝日新聞とレコード芸術の連載をまとめたもので、そのタイムスパンは、1979年から2002年と20年に渡る。

その視点はあくまでも同時代のもの。その現場からの証言であって語り口はとても生々しい。だから、とても《私的》なもの。フルトヴェングラーなどであっても、自身の生の体験を記憶の奥から取り出して解析しながら、その後にリリースされた音源を聴き直し目の当たりにしながら対比させる。その思考時制はあくまでも「現在」ということで徹底している。

なかでも印象的だったのは、ベームのこと。

この時点(1995)ですでにベームが「忘れられたも同然」の指揮者として言及している。「古風な職人的親方」「(二十世紀きっての)親方中の親方指揮者」と言う。別のところでは、「ベームという《人間》に何かが欠けているのだろうか?」と、そういうベームの不思議として愛惜を込めつつも言い放つ。こういうことは並の批評家には書けないひと言だろう。

もうひとつは氏が、「私の好きな指揮者の一人」だとショルティを高く評価していたこと。

そのショルティ論は、ドイツの新聞のベートーヴェン特集で「エロイカ交響曲」のベスト盤としてショルティ/ウィーン・フィル盤があげられているのを読んで思わず「なるほど、ね」と声をあげたところから始めている。ここではR.シュトラウスの「エレクトラ」をベームと比較して、「(日本では)何も考えずにベームの名のみ高く、ショルティといえば、過小評価されている気味がなかろうか?」と結んでいる。別の章のショルティ追悼文は、ショルティ/シカゴ響の組み合わせを「『あれは音楽ではない。あれは超工業社会の象徴のようなもので、あの洗練さこそ頽廃の基だ』と批判する人も少なくなかった」とそういうステレオタイプを痛烈に断罪して、そのブルックナーを賞賛する。追悼文最後のショルティのモーツァルト演奏評は、簡にして要を得た最高の頌辞となっている。

とにかく、取り上げられた指揮者は数多く、それぞれ一枚のディスクを取り上げた指揮者論も具体的で教えられることも多く興味は尽きない。その面白さのすべてはとうてい紹介しきれないが、ひとつだけ蛇足を付け加えると…

「どこを切っても鮮血がほとばしる」「切れば血の出るような」という言い回しを氏が連発していたことに驚いた。少なくとも3箇所はあった。この言い回しは、某評論家の専売特許だと思い込んでいたが、本書にソレを見つけた時は思わず吹いてしまった。





吉田秀和コレクション
世界の指揮者
吉田秀和
ちくま文庫

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