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日記

『「色のふしぎ」と不思議な社会』(川端裕人著)

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2021年04月25日

最近読んだ本では、出色に面白かったのでご紹介したいと思います。

著者は、自身が子供の頃に学校での色覚検査(例のモザイク画)で色弱と判定され、そのことが取材、執筆する大きなモチベーションとなったようです。

それで、色覚(色の見え方)の先端科学の世界を取材すること5年。そこから見えてきたことは、まさに驚きの連続です。

これまでの社会通念や思い込みがことごとく覆り、吹き飛んでしまいます。その過程で、著者の色弱の判定までもが覆ってしまいます。「異常」が「正常」と診断されて衝撃を受けてしまいます。それは自身のアイデンティティが揺らいでしまうほどのものだったそうです。



内容は多岐にわたるので詳細は省略しますが、「色覚」についてだけ簡単にご紹介しますと…

1.色は、可視光線の波長の違い。反射(吸収)の波長の違いが色となる。
2.単波長だけではなくスペクトル(波長の強度分布)によって区別される。
3.三つの原色(三原色)の混合であらゆる色を生み出せる。
4.ヒトは、赤・緑・青の三種類の光受容体(錐体細胞)を持ち、色を識別している。
5.「色覚異常」は、いずれかの錐体細胞の異常もしくは欠落に起因する。
6.「色覚異常」は先天的で遺伝する。

といったところが、私たちが学校の理科や美術、または保健体育で習い、これまでの社会通念となっていたことだと言えます。

ところが、20世紀後半以降の最新の研究成果によれば、色を見る脳内の情報処理はずっと複雑で、いままでの通説が大幅に修正され覆ってしまいます。色覚は多様で連続的なものだというのです。二人いれば、それぞれの色覚には微妙な差があるし、赤色が見えにくいという程度なら、私たちの実に4割がそうだというのです。しかもヒトの祖先である哺乳類は二色覚型で、二色覚型、三色型が混在する野生のサルを観察すると緑の森の中で赤い実を見つける能力は変わらないこともわかりました。



三つの錐体細胞は、短中長の波長を選択的に吸収し、それぞれS(青)、M(緑)、L(赤)錐体と呼ばれます。実は、MとLの錐体細胞は、ヒトが霊長類から分かれて進化する過程で分化したもので受容する波長もかなり重なり合っている上に、遺伝の過程で変位・融合しやすいのだと言います。

色の知覚も、三つの錐体の情報が独立して脳に伝わるのではなく、反対色(補色)である赤-緑、青-黄、黒-白(輝度)の3つが組み合わさりその応答の差違を感知し、それをもとに色を見分けているというのです。まず反対色の差分を感知し、それを脳に伝えて情報処理しているというわけです。とてもややこしい。

さらには、「混じりけのない」原色の青、赤、黄、緑というものの感じ方もひとによってまちまちだということもわかってきました。調べてみるといわゆる混じりけのあるはずの「中間色」にもヒトの一次知覚は反応していることもわかってきました。必ずしも、脳内で三原色を混ぜ合わせているわけではないのです。

色の識別にも、言葉や文学、つまりは歴史文化、体験も大いに関わっているのだとか。日本人が、交通信号の“Green Light”を青信号というのもそのひとつですし、「水色」というのも、他の言語文化ではひとつの独立したカテゴリーとなっているのは希なのだとか。そういうことが、実際の色相識別にも影響しているとみられているのです。

まだまだ「色の見え方」には未知の世界があるというわけです。

「色」を光の波長から定義する物理学からすれば色は普遍のものですが、「色覚」はずっと多様性のあるもので「正常」「異常」という閾値は見いだしにくい。色覚は「普遍性とともにある多様性だ」というわけです。

あるいは、ある色覚研究者は、こういう格言めいたひと言を紹介しているそうです。

《色覚は健全な錯視である》
“Color vision is a healthy illusion”






「色のふしぎ」と不思議な社会
2020年代の「色覚」原論
川端裕人 著
筑摩書房

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レス一覧

  1. 《色の識別にも、言葉や文学、つまりは歴史文化、体験も大いに関わっている》、それ故に、《「色」を光の波長から定義する物理学からすれば色は普遍のものですが、「色覚」はずっと多様性のあるもので「正常」「異常」という閾値は見いだしにくい。》

    ご紹介いただいたような認知系の研究が、多様性にいきつきがちなのは、その実証性について被験者の自己報告に頼らざるを得ないという構造にも起因していると思われます。いかなる客観的実在も人間的事象になるならば、言語を介すわけです。言語の介入以前の感覚などというものは、生きてるかつ死んでる猫よりも、よほど気色悪い観察に思えます。

    色覚は文化的、言語学的要因により相対的な感覚であるということと類比的なことですが、ケプラーは夜空の彗星を見ながらなぜ彗星の軌道が我々の目に直線であるように映るのか、映るはずがないのに?という問いを立てることで、視覚的形態把持ですらも生物学的な客観性などまるでなく、人間の感官は先験的次元のものではほとんどなく、色濃く経験と学習に染色されているのではないか、という話しで日記にしようとしたことが以前あります。理系の方々の《感性》に見合う論理を表現できなかったので消しましたが。(^^) こんな話をしながら私が立てたかった問いというは、音楽再生の場で音像定位が目の前であるのは生物学的生理学的絶対なのか?です。(爆)

    byベルイマン at2021-04-25 21:24

  2. ベルイマンさん

    人間の認知に言語が介在し言語学的要因も影響を与えるというのはその通りですね。

    ただし、色覚の多様性について、解明されつつあるのはもっと客観的なものです。色覚検査についてだけでも、例えばアノマロスコープというものが用意されていてほぼ最終診断として使用されています。

    この原理は、以下のようなものです。

    赤と緑を混ぜれば黄色になります。あらかじめ単色の黄色を準備し、赤と緑を混ぜた黄色を比較するというものです。被験者が顕微鏡のようなものを覗くと、円形の下部半円に基準の黄色があり、上部半円に混色の黄色を比較させ、同じ色に見える赤・緑の混合比率を測定するというものです。

    その結果は、驚くことに人によってばらばらで、しかも連続的だそうです。モザイクのスクリーニング検査(石原表)で正常に読める人でもかなりばらつくし、異常とされた人でも正常範囲だったりするそうです。

    言い換えれば、同じ色をふたりが同時に見ても、ふたりの見ている色は違っていて、ふたりとも間違えているということが大いにあり得るということになります。そうであっても日常生活にはいささかも支障はないし、その一方で、ゴッホの絵の色彩がどうの、プロジェクターの色がどうのと言い合っているというわけです。

    視覚と色彩というかなり客観化可能なものだからこそ、科学の解明がここまで進んだということでしょうね。

    ひるがえって聴覚の方は、せいぜいが可聴周波数とか時間分解能ぐらいで、あとはほとんどが音響工学の世界であって認知側の解明は進んでいませんね。

    本書によれば色覚もかなり視覚以外の感覚情報を駆使しているようだとのことですが、聴覚はさらに視覚その他の感覚、経験知などを駆使して脳内処理しているのだろうと思います。その分、より文学的なんでしょうね。

    オフ会でも、同じ音を同じ場所で聴いているのに、音像定位の方向が個人によってかなり違うので驚いてしまうことを何度も経験しています。指差しですから言語は介在していません(爆)。

    byベルウッド at2021-04-26 01:05

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