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日記

「モーツァルト」(岡田暁生著)読了

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2021年05月09日

「楽しいのに寂しい、強いのに壊れそう」

モーツァルトの音楽の魅力を、そう喝破したのは「ミスター」こと巨人の長嶋茂雄さんだそうだ。

長嶋さんは、立教時代や巨人に入ったばかりの頃に、よくモーツァルトを聴いていたという。同じ曲が、ある時は自分を元気付け、ある時はあちらから悲し気に共感をもとめてくるのが不思議だったと言っているそうだ。そのあまりに当を射たモーツァルト像に驚嘆したと対談した指揮者の井上道義氏がエッセイに書いているそうだ。

著者自身が述べているようにモーツァルト本はあまりに多い。それでも多くの人々がモーツァルトの音楽あるいはその人となりを知りたがるのは、それだけモーツァルトの音楽が魅力的だからだろう。

ところが、あまたあるモーツァルト論だが、《具体的に》その天才と魅力を解き明かしたいという気持ちを満足させてくれるものがなかなかない。

確かに、「疾走する哀しみ」などと言われても、もはやいかにも陳腐で、そういう受け売りを得意満面に言われれば加齢臭すら漂ってくる。レトリックが過剰で、余計な言葉を連ねすぎている。「モーツァルトの音楽の輝くシンプルさは、言葉の余剰と空回りをあっという間に浮き上がらせてしまう」というわけだ。

本書は、そのモーツァルトの音楽の魅力、人間モーツァルトの身近な葛藤と活気にあふれた才気、そういう天才を生み育んだ家庭や時代背景などなどを、より具体的に解き明かしていく。中味は、とっつきやすくて読みやすい軽さがあって、しかも、要点を外さずなかなか要領を得たもの。

例えば、自分の教育メソッドの証しとして自分の子供を天才神童ショー化して旅から旅へと連れ回したステージ・パパの存在。

モーツァルトの音楽の魅力のひとつはシンプルな原理の和声や音階の自在な展開だし、神童と周囲からもてはやされた少年の人なつこさに満ちている。しかも、「魔笛」のザラストロや「ドン・ジョバンニ」の騎士の石像など、常に「厳父」への畏怖ともいうべきコンプレックスの影が落ちている。喜遊と悲哀との跳躍、往還の魅力は、まるで命綱をつけないスタントマンのようだという。そういう著者が語るモーツァルトの魅力、美意識は、シンプルにモーツァルトの人生や人格形成と直結している。

モーツァルトが好きで、そこそこの曲ならちょっと鼻歌程度には思い浮かべることができるけど、今ひとつその魅力を渉猟しつくした気がしていない。かといって、文学過剰、知識過剰の重たいマウンティングもご免こうむりたい…

そういうモーツァルト・ファンには、是非、一読をおすすめします。





よみがえる天才3
モーツァルト
岡田暁生 著
ちくまフリマー新書

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  1. ベルウッドさん、こんばんは。

    加齢臭が気になってきました。(^^) モーツァルトの作品への父性の影響は大きいですよね。ミロシュ・フォアマンも『アマデウス』でピーター・シェーファーの原作の戯曲以上に父性を取り上げていたと思います。ただ、イングマール・ベルイマン の『魔笛』は父性とはかけ離れた展開になっているように思えますが。ただ、父の問題はモーツァルトを分析するのには避け難く突っ込みの入れ易い題材なんでしょうね。

    グランパルティータと最後の交響曲を何枚か買ったのですが、これぞというのに出会いません。いがいと難しくて、好みが出やすいのでしょうか。だってブルックナーなんてどれ聴いても同じような、、、そんなことはないですね。(爆)

    byベルイマン at2021-05-10 00:01

  2. ベルイマンさん

    本書では、厳父の存在、畏怖がモーツァルトに大きな影を落としていて、彼の作曲のモチベーションに大きく関わっていたというふうに言っています。

    ニ短調のピアノ協奏曲は「全編が死の闇に閉ざされ、時として雷鳴か地獄の業火のごときパッセージが轟く」。彼はよりによって父親は久々に彼を訪ねてウィーンにやってきたその晩のコンサートにこれを取り上げている。彼の強迫観念の現れではないか…

    …というふうに。

    父の死の直前直後に取りかかった「ドン・ジョバンニ」の石像は、死んだ父が亡霊になって自分を連れ戻しにやってくるといった妄想が、彼の脳裏をよぎらかったはずはないと言います。

    「レクイエム」の依頼に彼を訪ねてきた男という伝説の真偽は確かではないですが、モーツァルトはその依頼に対して、病を得ていたにもかかわらず異様なまでに完成に没頭します。やはり、そこには突如として現れ、追うように作曲を促すという父の亡霊という強迫観念があったのかもしれません。

    そこには「死」と「時間」という実存の観念さえ浮かび上がってくると展開していきますが、そういう「存在と時間」というような哲学概念を持ち出すと、それはやっぱりオヤジ臭いということになってしまうかもしれませんね(笑)。

    「グランパルティータ」も、映画の『アマデウス』では効果的に扱われていましたね。コントラバスを加えるのか否かがひとつの分かれ目だと思いますが、結局、私は、コントラバス無しのほうが好みです。

    byベルウッド at2021-05-10 13:20

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