日記
音場と音像と音場感 (長岡鉄男のことば)
2022年01月29日
とあるSNSに、長岡鉄男氏の文章が紹介されていました。
昭和59年4月のAudio Accessory誌に掲載されていたものだそうです。今から30年以上も前の文章です。今読んでもなかなか興味深い内容を含んでいます。以下、孫引きですがご紹介します。
(長い文章なので独断でさらに省略・抜粋、段落づけをしています。)
「長岡鉄男の趣味の音場」
これからは音場の時代、といわれて5年くらいたつが、現実はむしろ音場は遠くなりにけり。音場再生は一般ユーザーとはますます無縁の存在になりつつある。
今、音場とは何か、体験的にわかっている人は1000人にひとりもいないのではないかと思う。
メーカーのエンジニアにも評論家にも10人にひとりいるかいないかだと思う。
たとえばグライコを称して音場補正と呼んでいるメーカーがある。これはたとえていえば、化学調味料で栄養のバランスを調整するとか、芳香剤を使って室温を調整するとかいっているのと同じであって、ただもう唖然とするばかりである。
あるメーカーの試作スピーカーを試聴室で聴かせてもらった。
音場スピーカーではなく、オーソドックスな単一指向性スピーカーだが、今までにない音場再生能力を持っているという。スピーカーの後方にも音像が定位するのだという。話を聞いてもまるでピンとこないし、音を聴いてもなんてことはないのである。だんだんにわかってきたのだが、このメーカーでは音像はスピーカーを結ぶ直線上に定位するものであり、前後に定位するものではないと思っていたらしい。
筆者は音像はスピーカーの位置には関係なく、前後左右上下に3次元的に定位するのが当然と考えているので、スピーカーの後方に定位しますよ、といわれても、何をまぬけなことをいってるんだと思うばかりである。
またあるメーカーの音場スピーカーを研究室で聴かせてもらった。
AV時代にマッチする音場再生型というのだが、スピーカー単独だとピンボケ音場、Vとドッキングさせると視覚定位と聴覚定位との差が大きく、違和感でイライラしてくる。このメーカーも音場についてよくわかっていないようだった。
また、あるメーカーに呼ばれて、4チャンネル・ステレオについての相談を受けた。
すでにマトリックス4チャンネル用のエンコーダーも完成している。問題はどうやって売り込むか、一昔前、4チャンネル騒動でやけどを負ったメーカーとしては、石橋を叩いてもなかなか最初の一歩が踏み出せない。というのは無理からぬところだが、このメーカーも音場の意味はよくわかっていないようだった。2チャンネルでは出せない3次元的な音場を4チャンネルで出そうという。やはりステレオの音像はスピーカーを結ぶ直線上に定位すると信じこんでいるくちだ。問題はメーカーだけでなく、マスコミの側にもある。ある雑誌では、ステレオの定位は同じ信号をレベル差をつけてL・Rに配分することでつくられると説明している評論家がいた。
さて音場だが、これはステレオの中でも少数派、オーディオの中では、ケシつぶのような存在、音楽とは無縁といっていいだろう。その辺をしっかり見極めた上での音場再生論である。音楽は独立した存在、オーディオも独立した存在、そして音場も独立した存在、それぞれに別個の趣味なのである。音楽ともオーディオとも無関係のものとして音場を認知した上で、改めて、音楽とオーディオと音場の三位一体となった総合芸術を考えてみたいと思っている。
音像、音場、どちらも用語として不明確なので、両者の関係は一段と不明確。たえず混乱が起きているが、音像というのは物体についていうものであり、音場は空間の音像と思えばよい。従って音像に統一してしまう方がよいのだが、一般常識からして、音場あっての音像ということになっているので、ここでも音場という用語を使うが、意味としては、空間の音像のつもりである。
趣味のオーディオがあるなら、趣味の音場があってもいいではないか。
左右のスピーカーから放射される音波だけで、物体や空間が眼前に再現される。目に見えるような、手でさわれそうなホログラフィー的な音像。これを追求しようというのが趣味の音場だ。
趣味の音場を音楽とドッキングさせるとどうなるか。
一番単純なのはソロ・ボーカルだ。特に無伴奏のソロ、伴奏がついたとしても、ギターとか、リュートとか、小型のシンプルな楽器一丁というのがいい。これを再生して、じっと空間をにらみすえる。もちろんスピーカーは無視している。スピーカーから音が出ていることがわかるようなソースや、再生装置は相手にしない。スピーカーを意識させないというのはオーディオの、ステレオの最低の条件である。現実にはこの最低の条件を満たしているソースや装置は数%しかない。
さて、空間をにらみすえていると、歌手の姿がホログラフィーのように浮かび上がってくる。
身長は、体重は、骨格、肉付きは、衣装は、顔形は、そして歌手が立っている床は、天井は、壁は、あるいは立っていないでイスに腰掛けているかもしれない。そういうことがすべてわかってくる。正確にはわかったような気がしてくる。そこでそのイメージを画用紙にスケッチしてみる。それを実像と照らし合わせて、当たった! 外れた! と喜んだり、がっかりしたり、それが面白いのである。正体不明の歌手のレコードを手に入れた、それを聴いて音像スケッチしておくと、いつか歌手の正体がわかる。これがスケッチとピッタリ一致したときは快哉である。ヤッタァーと躍り上がる。これが趣味なのだ。
もちろん、ソロ・ボーカルだけではない。ソロ・ボーカルはむしろ入門用、音場の泥沼に入りこむと、ボーカルグループ、アンサンブル、オーケストラとエスカレートする。また空間の再現も重要だ。ホールの広さ、狭さ、天井の高さ、低さ、壁や床の材質がわからなければいけない。
たとえば、あるレコードを聴いた。音場が左右でアンバランスなのである。ホールエコーののび方がちがう。右の奥の方が、エコーが斜め上へとのびていく感じがある。どこかが狂っているのだろうか。後でわかったのだが、コンサートホールではなく、大きなロビーのようなところで、右よりに広い階段があったのだ。再生音場に狂いはなかった。どんなもんだいと、ひとりで得意になっている。
これが趣味なのである。
レス一覧
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ベルウッドさん、こんにちは。
長岡さんらしい軽妙で率直な言葉ですね。そうだなぁと共感できることも多いのですが、果たして長岡さん自身はどのようにそういう環境にしていったのか、というところの情報を知りません。
どこかに具体的に吐露していたことがあるのでしょうか。
by2Hくん at2022-01-29 11:32
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ベルウッドさん
興味深いお話ですね。最後の文にあるように、彼は、「趣味」という言葉で、様々な異論・批判を許容するというか、清濁併せ吞むようなご発言をよくされた方だと記憶しております。特に有名なのが、「手段が目的化することを趣味という」という言葉でしょうか。
これは、「音楽を楽しむ」という「目的」のために「オーディオ」という「手段」を選んでいるつもりだったのに、いつの間にか、オーディオのクオリティをあげるという「手段」自身が「目的」になった時に、それを「オーディオが<趣味>になった」というのだ、と彼は言いたかったのであろうと理解しております。
私のように、高校生・大学生ぐらいの頃に「Stereo誌」で長岡さんの記事は読んだものの、スピーカーの自作なんて全く縁のなかった不器用文系人間(汗)にとっては、彼は「重さでオーディオ機器の評価をする人」ぐらいのイメージしかないのです(笑)。ただ、彼はご自宅を増築されてからはホームシアターにも取り組んでいたそうですが、その頃は私は全くオーディオ雑誌を読まなくなっていた時期だったので、詳しくは知らないのですが、彼は、マルチチャンネルオーディオについてはどのようなご見解をお持ちだったのでしょうか?
もし、ご存知でしたら、ちょっと興味がありますので教えていただけると嬉しいです。
byAuro3D at2022-01-29 13:03
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2Hさん
長岡さんは、なんといっても『男は黙ってバックロード』ですよね。
バックロードについては今日までいろいろな評価はありますが、それはさておき、こと音場論ということに限って言えば、その本質はフルレンジユニット一発ということではないでしょうか。
byベルウッド at2022-01-29 13:26
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Auro3Dさん
私も似たようなものです。FMfanだったかの記事は読んでいましたし影響も受けましたが、決してフォロワーではありません。今でも、オフ会などで次から次へとソフトを繰り出されてタジタジとなりますが、それがほとんど長岡氏の紹介したものと知ってなぁーんだということが多いです。とにかくすごい影響力です。
実は、日記本文では省略してしまいましたが、元ネタでは『趣味というものはすべて門外漢から見ればどうしようもなくバカバカしいものなので、逆にいえば門外漢から見てバカバカしく見えないのは本当の趣味ではないともいえる』と書いておられます。『趣味の音場』の具体例として、延々と「日本の自衛隊」というレコードのことを情熱的に書いています。確かに、音楽再生という本来のオーディオからすれば、はるかに逸脱してしまっていて確かにバカバカしい(笑)。
とにかく私もその程度ですから、その後長岡氏がホームシアターについて一家言を持つに至っていたということは知りませんでした。
こんな記事もありますのでご参照ください。
↓
https://www.phileweb.com/editor/home-tp/nagaoka/index.html
byベルウッド at2022-01-29 13:47
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ベルウッドさん、こんにちは。
長岡氏は80年頃から音場に興味をもち86年のスワンに見られるように音場を意識してオーディオをやっていたようですが、彼の主張からはその当時の音場に対する無理解は音場という感覚(評価基準)は聞く人の音場経験(体験)量(質?)の差が大きいのが原因と考えていた様です。
つまりコンサートや生演奏の視聴により実体験として空間における音場を意識して経験している人でないと、オーディオにおける再生音場でもどこを志向して構築していくかが具体化できないからと考えていたからでしょう。
確かに周波数特性や音圧など数値化し易いものと違って音場そのものは表現し難いものなのでその共通認識が無いと評価基準すらお互いに合わなくなってしまっていることは誌上でも述べられている様に同意するところです。
まあこの辺の意識は近年では大分改善されたとはいえ現在でもあまり変わらない面もあるのは市販品の主流が時間軸表現の難しいマルチウェイが主流になっているからかもしれません。(とはいえシングルコーンは別の問題も抱ええているので必ずしも解決案にはなっていないと思っています。サラウンドに於いては更に問題が複雑ですね)
まあこの辺はお互いの試聴体験の交流でレベルアップを図っていくしかないでしょうかね。
byケン at2022-01-29 17:11
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ベルウッドさん
懐かしい記事のご紹介ありがとうございます。
ロンドンの書棚に無かったので実家に置いているのだと思いますが、この記事ははっきりと記憶しています。今でも多くが通用する興味深い内容ですね。
ところで、ステレオサウンド124号(1997秋)に『オーディオの流儀-自分だけの「道」を探そう』という特集があります。その第一部は、オーディオ評論家9人が「独断的オーディオの流儀を語る」という座談で、傅信幸氏がこだわるステレオイメージに関する各人のツッコミが面白いです。
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菅野: 傅さんは自分の音を率直におっしゃっているし、言いたいことは良く分かるんだけど、ひとつ質問させていただくと、「ポッと出たらまいる」とおっしゃるのはステレオイメージをプライオリティにしているということですか?そのためには他の部分が犠牲になっても良いということですか?
傅: 一般的に、ポッと出る音には薄いという印象がありますね。そのいっぽうで、ガチっとした音像が出ると空気感が薄らぐんです。私が好きなのは前者ですね。
柳沢: つまり、他のものを失っても、傅さんは空気感を取りたいわけなんだ。
長島: 傅さんはホログラムを見たいんですね。しかし陽炎のようなホログラムを得るためには、多くのものを失わなければならない。
菅野: 故・山中敬三と正反対なんだね。山中さんの音は、そこに行って叩いたら手が痛いほどの音像リアリズムがあった。
(中略)
朝沼: ちょうど’70年前後だったと思うんですが、海外オーディオ誌に、これからの音はスコーピック、すなわち「見る」オーディオになるのではないかという記事がありました。ステレオという手法によって、頭の中に錯視効果による虚音像が生じるということなんです。傅さんはこの効果を大事にしたいんですね。ところが僕はこの錯視現象が苦痛で、リスニングポジションをオフセンターにしているんです。特にジャズでは、こうすると逆に音楽そのものに浸れる。
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皆さん、結構ストレートで、変な忖度がありません。またキワドイけど論破もなく良い座談でした。
すみません。話を拡散させてしまいました。
byのびー at2022-01-29 23:42
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ベルウッドさん、こんばんは。
元長岡教な私です。…あ、ソフト面では現役ですね(笑)
自分で初めてアンプを買ったときから参考にしていました。
学生時代には長岡氏設計のスピーカーをメインにしてましたし。
オーディオ誌で新製品のテストや自作スピーカーの発表をしつつ、レコ芸の新譜録音評も担当するというマルチで多忙な方でした。
一時期、長岡氏推奨レーベルの代理店がある出版社になって欲しいディスクが入手できない時があったりしたのを覚えております。
ここからは横レスになりますが、ご自身の趣味としては古楽と現代音楽が好みと言う発言をされていたはずです。
小音量でもボケず、瞬発力のある音を出すためにバックロードホーンを使われていたそうですが、普通の設計のスピーカーもたくさん発表されています。
レーザーディスクの登場と前後してビジュアルにも目を向け「方舟」を建築してVA(ビジュアルオーディオの略でおそらく長岡氏の造語)を提唱されました。
「方舟」前後位にマトリックスマルチについて言及されるようになり、4ch、6chなどの結線法を発表されたりしてます。
私も40インチのリヤプロジェクションTVを導入してアンプのスピーカーA・B切り替えを利用して2ch・4chの両方を楽しんでました。
あるディスクで頭上を飛ぶヘリが360度グルッと回った時は感動しましたね。
DVD時代に入ってからは長岡氏の記事が掲載されるオーディオ誌を読まなくなったので良く知りませんが、ソフトを買うときは今でも影響されてます(汗)
byfuku at2022-01-30 00:19
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ケンさん
音場に対する意識が高まる契機になったのは、いわゆる「生録」ブームではないでしょうか。その嚆矢は、何と言っても東芝音工のエンジニア・行方洋一さんの蒸気機関車シリーズでしょう。収録は60年代後半から70年代半ばにかけて。それがアマチュアにも拡がっていった。スタジオ録音と違って、生録(野外録音)はマイクセッティングもペアマイクのみのシンプルな構成で編集加工も無し。だから音場情報が確実に収録されていました。事実、上のAuro3Dさんへのコメントで書いた「日本の自衛隊」も行方洋一さんの録音でした。
音場ということは、金田アンプの金田明彦さんも盛んに言及していました。それも最初は、マイクアンプ(いわゆる“金田式DCマイク”)の設計が始まりだったと思います。
金田さんは、「音場再現と音楽再現」との見出しで次のように書いています。
“コンサートホールで、何度か深い感激を味わった人ならもう気付いているだろう。音楽再生にとって何が大事かを。多数の楽器から放射された音が空間で融合し、生命力に溢れたハーモニーを作っている。このハーモニーが分布している空間、つまり音場そのものを再現しなければ音楽は再現できないのだ。”
そして、音場情報が検出され、記録されるのは、オールDC録音だと標榜しているわけです。レコードでもワンポイントステレオ録音なら、不完全ながら音場情報は入っているとも。
byベルウッド at2022-01-30 09:21
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のびーさん
のびーさんがこの文章を覚えておられるというのもすごいですが、それほど強い印象と影響を残した文章だったということもすごいですね。
私が、あらためてこの文章を読んで特にはっとさせられたのは、長岡氏が音場と音像を対立的に捉えていないことですね。
すなわち
『音像、音場、どちらも用語として不明確なので、両者の関係は一段と不明確。たえず混乱が起きているが、音像というのは物体についていうものであり、音場は空間の音像と思えばよい。従って音像に統一してしまう方がよいのだが、一般常識からして、音場あっての音像ということになっているので、ここでも音場という用語を使うが、意味としては、空間の音像のつもりである。』
という一節です。
ご紹介の対談もそういう意味で面白く拝見しました。97年になっても評論家諸氏には用語や概念に混乱があり齟齬が生じていたようですね。実感覚と観念とのあいだを互いに行ったり来たりしているように見えます。
音場派か、音像派かと対立的に捉えることもありますね。私もかつてこんな日記を書いたことがあります。文中の「音色」を「音像」と置き換えて読んでいただければと思います。
↓
https://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20130813/38622/
byベルウッド at2022-01-30 09:35
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fukuさん
この文章は、まさに長岡教の教祖の山上の垂訓みたいなものですね(笑)。
長岡さん紹介ソフトには、古楽や現代音楽も多かったですね。特に当時はマイナーだった古楽の録音を、オーディオマニアのメジャーソフトにしてしまった功績は大でした。そういうソフトは概して音場情報がたっぷり入っていますね。あの「カンターテドミノ」も長岡さんが紹介して超メジャー化したソフトですね。『前後左右上下に3次元的に定位するのが当然と考えている』長岡さんの面目躍如ですが、いまだにその本質を理解されている方がどれほどおられるのかは疑問です。
「方舟」…ありましたね。Auro3Dさんに返レスした後で、思い出しました。私自身は、引っ越し人生が続いてリビングオーディオが身についてしまっていたので、正直言ってホームシアターには興味を持たなかったのです。今でも映画は、最新設備の音響に定評のある映画館で見ればいいという考えです。やはり、そこが首都圏住民の強みです。
こちらの方面でも、長岡氏のソフト紹介の功績は大だということなんですね。すごいなぁ。
byベルウッド at2022-01-30 09:50
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ベルウッドさん、
長岡さんの講演会で、まさに三次元の音を聴いたことを思い出しました。
ホテルの会議室で、バックロードホーンSPのデモをされていました。参加者は50人くらい、壁面には吸音などの音響処理はありません。パニアグアなど様々な音楽も素晴らしかったのですが、一番驚いたのが花火大会の生録です。
花火がヒーュルヒユールと打ちあがり、会議室の天井を突き抜けた遥か上空からポーンポンという音が聞こえます。見物客の歓声や会話などに囲まれて、夏の暑さが感じられます。臨場感とはこのことかと感心しました。
しばらくして川が流れているのに気がつきました。長岡さんの講師席から自分の椅子の下を通り、背後の席に向かって水音が聞こえるのです。
隣席の友人もこちらの方を見ています。
「そんなアホな」と思わず言うと、友人は「いや、ほんまに流れてるで」と床を見ています。
これが5.1や7.1などというサラウンドではなく、単なる2チャンネルステレオだったのが驚異的です。いや、どんなサラウンドでも、これは無理だと思います。
ベルウッドさんの引用された文章は、本当にあったことでした。なぜ長岡さんはこんなことができたのでしょう。
いくつか長岡さん設計のスピーカーを作ってみましたが、とても三次元空間など再現できませんでした。
だれか他にもできる人がいるんでしょうか。
byありすと at2022-01-31 19:54
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ありすとさん
すごい体験をされたのですね。
確か花火の録音も行方洋一さんが手がけたものだったと思います。
サラウンドではなくて2チャンネルステレオだということもポイントだと思います。サラウンドは音の方向性を出すには素晴らしく効果的ですが一体的な空間を表現するものではないと思います。
金田アンプの金田明彦さんは、次のように言っています。
『目や耳は2つ1組で機能を果たす感覚器官であり、3つや4つは不必要なばかりか、かえって邪魔になる。2つという数は必要最小限の数ではなく、2つでなければならない必然性のある数なのだ。』
サラウンドかステレオかという立体論争は議論が尽きないところがありますが、少なくとも多chのサラウンドが3D再生の絶対ではないのだと思います。
自衛隊もそうですが、花火の録音は、とかく爆音の再生限界を試す邪心再生的なキワモノとしてばかり話題になりますが、長岡さんがこうした録音を絶賛していたのは、むしろ空間的立体的な臨場感再生のことなんですね。
byベルウッド at2022-02-01 10:47