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日記

「ボリス・ゴドゥノフ」 (新国立劇場オペラ)

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2022年11月23日

エグいオペラ。実にエグい。部分的にはえげつないと言えるほど。



何がエグいって、一番エグかったのが、ボリスの息子フョードル。

といっても歌手のことではない。黙役を演じた女優ユスティナ・ヴァシレフスカのこと。この演出ではフョードルと聖愚者を同一のものとして扱う。原作では、皇位継承に耐えない病弱の息子となっているが、このプロダクションでは重度の脳障害者。その障害者ぶりが真に迫っていて恐ろしいほど。

聖愚者というのは、佯狂者(ようきょうしゃ)とも訳されるが、正教会独特の聖人のことで、ボロをまとって人々の辱めを受けながら市井を放浪する聖人のこと。純真な心でものごとの真実や核心を見透す言辞を遠慮容赦なく発する。最高権力者にとってはその忌憚のない言辞が啓示ともなる。

息子が脳障害者というのは、大江健三郎の小説「個人的な体験」を思い浮かべるが、親としてのボリスのみならず、オペラ全体を見る聴衆にとっても心理的な負担となって重くのしかかる。この演出は決して史劇ではなく、物語を心象風景に遷し変えて人間の心の奥底に隠れたものを掘り下げていく心理劇になっている。ボリスは、先帝の幼い皇子ドミトリー暗殺の嫌疑を自ら抱え込み、子殺しの幻影が執拗につきまとい、皇位の正統性の不安に苛まれる孤独な権力者は、やがて自ら破滅していく。

そういうボリスの脅迫観念は敵役をことさらに酷薄残虐にし、側近の面従腹背におびえる不信はあっけないまでの裏切りとなって実現する。辺境の居酒屋の場面は、ドミトリー皇子を僭称するグリゴリーの残虐性の発露という、これまたえげつない結末になる。そのえげつなさは、終幕には壮絶な殺戮場面となって倍加されていく。こうした場面の連続に客席は凍りつき、幕間の拍手を思わず忘れてしまうほど。

権力の正統性喪失後の大動乱、動乱収拾のための専制に付和雷同する民衆、権力に寄生する成り上がりども、側近政治と裏切り、酷薄残虐な支配階級とそれに仕返しする復讐報復の狂乱、支配層に取り入り暴虐の限りを尽くす傭兵たち。こうした黒々とした群像が忌まわしいまでに舞台上にあふれかえる。それが、ロシアという国の人格の真理であり、その投影であるかのように。まさにムソルグスキーの世界だ。



今のご時勢だから、どうしても現実のロシアを重ね合わせてしまう。こんなあからさまなプロダクションは今の欧米では無理で、日本でしか上演できないのかもしれない。ロシア人歌手が早くからキャンセルとなったのは無理もないような気さえする。来られなくなったのではなく、来なかったのではないか。

急遽代役としてたてられた歌手はいずれも期待を大きく上回った。タイトル役のギド・イェンティンスは、ワグナー歌手としてさすがの歌唱と演技。シュイスキー公爵役のアーノルド・ベズイエンはオランダ人だが、面従腹背の策謀家を歌って貫禄を示した。僧侶ビーメン役のゴデルジ・ジャネリーゼもジョージア出身だが、演技ばかりでなく、ロシアン・バスの音楽的魅力をふんだんに堪能させてくれた。

衣装も想像力に富んだもので、この演出を単なる読み替えものにしていない。幼児の大きな頭部、傭兵のオオカミなどの被り物、特に甲冑の醸し出す象徴性はアイデアとして素晴らしい。照明も演出や舞台に寄り添ったもので際立っていたし、心理を象徴させる装置もアクティブで見事。ただし、席が3列目と事実上の最前列だったせいかノイズがかなり耳についたのは残念。デジタル技術の性質上避けられないのか、投射映像が遅れてしまうそのズレも気になって仕方がなかった。

期待通りとはいかなかったのは、ピットのオーケストラ。

総監督の大野和士が自ら手勢の都響を指揮するのだから悪かろうはずもなく、大野の気配りの行き届いた力演なのだが、とにかく音量に乏しい。せっかく代役の歌手陣が期待以上に頑張ったのだからもったいない。

ウィーン国立歌劇場で聴いたときも最前列近くだったが、重厚かつ壮大な音響で全身が包まれ恍惚となるほどだった。バスチューバや銅鑼など低音楽器が大活躍するプロローグのみならず、要所要所で深々とした音色がロシアの漆黒の夜や民衆の嘆きを導き出し、ぶ厚い合唱や懊悩に満ちたルネ・パペの歌唱を深く彩っていた。ロシア歌劇はやっぱり低音の魅力。そういうウィーン・フィルと較べるべくもないと言ってしまえば身も蓋もないが、本当にそうなのか。確かに池松宏以下6台のコントラバスが入っていたのだけど、どうもピット内が寡兵との印象が拭えない。それがコロナ感染対策のせいだったとしたら、残念至極というしかない。


この日記はこちらでもご覧いただけます。

https://bellwood-3524.blog.ss-blog.jp/archive/20221117




新国立劇場 開場25周年記念公演
モデスト・ムソルグスキー 「ボリス・ゴドゥノフ」
2022年11月17日(木) 19:00
東京・初台 新国立劇場
(1階 3列27番)


【指 揮】大野和士
【演 出】マリウシュ・トレリンスキ
【美 術】ボリス・クドルチカ
【衣 裳】ヴォイチェフ・ジエジッツ
【照 明】マルク・ハインツ
【映 像】バルテック・マシス
【ドラマトゥルク】マルチン・チェコ
【振 付】マチコ・プルサク
【ヘアメイクデザイン】ヴァルデマル・ポクロムスキ
【舞台監督】髙橋尚史

【ボリス・ゴドゥノフ】ギド・イェンティンス
【フョードル】小泉詠子
【クセニア】九嶋香奈枝
【乳母】金子美香
【ヴァシリー・シュイスキー公】アーノルド・ベズイエン
【アンドレイ・シチェルカーロフ】秋谷直之
【ピーメン】ゴデルジ・ジャネリーゼ
【グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー)】工藤和真
【ヴァルラーム】河野鉄平
【ミサイール】青地英幸
【女主人】清水華澄
【聖愚者の声】清水徹太郎
【ニキーティチ/役人】駒田敏章
【ミチューハ】大塚博章
【侍従】濱松孝行
【フョードル/聖愚者(黙役)ユスティナ・ヴァシレフスカ

【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM 少年合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団
共同制作:ポーランド国立歌劇場

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  1. ベルウッドさん、こんにちは。

    仰る通り、なかなかにエグくて刺激的なプロダクションでした。
    同じ17日の初鑑賞では困惑してしまい、追加で20日も観て細かな部分にも気付いて各要素が繋がって腹落ち、23日に3回目を鑑賞するに至ってようやく純粋に楽しめた、というのが本音です(笑)

    歌手も素晴らしかったですが、更に特筆すべきは、皆が安定したパフォーマンスで各日での好不調の波がほぼ無かったことでした。(前回の「ジュリオ・チェーザレ」では、例えばタイトルロールが日によってかなり出来不出来がありました。)

    オケについては、流石にウィーンの方が実力が上であるのは間違いないとはいえ、演出に起因する要素、具体的にはピットがかなり下げてあったこと、舞台側からの反響が期待出来なかったこと、は差し引いてあげてください(汗)

    いずれにしても、このご時世にこの内容を観られる日本の有り難さを実感したプロダクションでした。Political Correctness的に欧米では上演が無理な気がします。

    by眠り猫 at2022-11-25 12:38

  2. 眠り猫さん

    3回も行かれたんですか!すごいですね。

    確かに歌手が安定しているということは、それ自体素晴らしいですね。人間の身体はデリケートで特に歌手の体調管理はたいへんだと思います。

    オケについては、やはり、眠り猫さんも感ずるところがあったようですね。

    演出の要素はありますね。史劇にしたくない、ボリスの心理・心象を表徴させる心理劇にしたいと明言していましたから、史劇的スペクタル場面、フルオーケストラの聴かせどころである第一幕の戴冠式の場がとても内向的な場面となっていましたから。

    ピットは深く下げていましたが、それだけの大編成ということですからピットの深さ自体は音量不足の言い訳にはならないと思います。

    舞台の反響ですが、元来、歌劇場というのは舞台からの反響は期待できません。ただ、今回の演出では舞台が深く設計されていて歌手も奥で歌うことが多いために声が届きにくく、そのためにオーケストラの音量を控えめにしてバランスさせていたという可能性はあると思います。そのあたりの大野さんの采配はさすがに行き届いたものだと感じました。

    問題は、ソロの音量バランスや音色のことで、特にこのオペラにふさわしいヴィオラやチェロなどの深みがほしい音色には、やはり、技量不足を感じたということです。

    そうではあっても、とてもシリアスで重量感のあるプロダクションでしたね。今のご時世では、確かに日本でしか見られないでしょうね。素晴らしい上演だったと思います。

    byベルウッド at2022-11-26 22:05