日記
ヴィクトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタル
2022年11月26日
ピリオド仕様のガダニーニとモダン仕様のストラディヴァリウスのそれぞれの名器を堪能した。

ムローヴァは、ここのところ来日のたびにこうしたピリオドとモダンの弾き分けを披露しているようだ。ピリオドは古楽の演奏、モダンは近現代、あるいは、ロマン派以降であっても同時代のオリジナル楽器で演奏する――そういう弾き分けがだんだんと浸透してきて私たちを楽しませてくれる。

けれども、この日のムローヴァは、そこからもう一歩踏み込んだ演奏だったのだと思う。それはとてもフィジカルな挑戦であって、音楽の楽しみ、感動というものを峻厳かつ深遠に掘り下げるような演奏だった。
ピアノのビートソンも、ムローヴァの楽器に合わせてフォルテピアノとモダンのスタインウェイを弾き分ける。フォルテピアノは、1820年製作の6オクターヴ、ウィーンアクションのオリジナル。
前半の一曲目、4番のソナタが始まると、ガダニーニとフォルテピアノの音量と音色がとても調和していて、古典的が均整美がまずひときわ胸を打つ。モダン同志のデュオだと主役の取り合いになりがちで、あるいは、その逆にピアノが遠慮して活きてこないことが多い。それが、ピリオドだと音が溶け合いすばらしいバランス。

7番は、4つの楽章の全てがピアノだけで奏される。そのことがなぜかフォルテピアノだと鮮烈に印象づけられる。これもまたピリオドならではの対等のバランスが生む効果なのだろうか。それだけでなくそれぞれの楽器の音のコントラストが引き立ってくる。剣の鋭い切っ先が切り結ぶような、あるいは、名書家の雄渾な運筆な躍動するような、ベートーヴェンの勇壮なハ短調が躍動する。とてもピリオド演奏とは思えない力強さがあって、しかも、音の強弱や濃淡、勢い、運びが墨書のように引き立つ。

休憩時にはピアノが交代するが、後半の開演直前までフォルテピアノはステージ右隅に蓋を開けたままで展示されていた。ホールの粋な計らいといえる。もともとこのホールは、開演時以外は写真撮影はOK。会場係員は、ちょっと距離を置いて待機しているだけ。多くの聴衆が興味深げに楽器をのぞき込み写真に収めていた。
後半は、モダン楽器。
最初の武満ではっとさせられた。ドビュッシーの影響が濃厚な若い武満のピアニズムに続いて深々とヴィヴラートをかけた叙情味あふれるヴァイオリンが現れる。こうしたロングフレーズにムローヴァは、いかにもモダンらしいたっぷりととしたヴィヴラートをかける。モダンならではのパルシブな運弓や浮遊するようなフラジオレットと対比されて、いかにも日本的な湿り気たっぷりの叙情を込めた息の長いフレージングは鮮烈。
そこには、ピリオドとモダンの境界、混交を感じてしまう。いわば、ピリオドとモダンの奏法の汽水域のようなものだ。そのことは、続けて演奏されたペルトにも流れ込んでいく。清澄な古楽的な協和音に満ちた世界が次第に色彩を帯びてきて、魂がぶつかり合い、きしみ合うようなモダニズムの厳しい触感の世界が混じり合う。ピリオドを聴いた直後だからこそ感じ取りやすくなった、音のコラージュの美学なのかもしれない。
最後のシューベルトでは、ストラディヴァリウスの華麗な音色に覚醒される思いがした。ここに至ってフルカラーの世界で、シューベルトの歌とその技巧的なヴァリエーションの世界が艶やかに躍動する。

普通に考えるなら、シューベルトの方がピリオドになじみやすい。ムローヴァは、あえてベートーヴェンと逆転させることで、互いの美点を際立たせている。ベートーヴェンでは、表現力の幅が広いモダンだと労なくして通り過ぎてしまいがちな本質が見逃されがち。スリムで敏捷性に富むピリオド奏法で、筋肉質で贅肉のない引き締まったベートーヴェンが鮮やかだった。一方のシューベルトでは、ガット弦で得た奏法によって実にフレッシュなモダンボウの裁きで聴き手をわくわくさせてくれた。
だから、このプログラムは、ベートーヴェンとシューベルトがリバーシブル。ピリオド奏法を一段と掘り下げ、その奏法で得たものをまたモダンでの演奏にフィードバックする。聴き手にとっても、そうした奏法の交換によってフレッシュな感覚が研ぎ澄まされてくる。ピリオドが作曲と同時代の楽器での再現という、アカデミックな視点からもっと純粋で自由な音楽探求にまで踏み込んできた。
ムローヴァの進化・深化はとどまるところを知らない。
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ヴィクトリア・ムローヴァ ヴァイオリン・リサイタル
2022年11月20日(日) 15:00
東京・築地 浜離宮朝日ホール
(1階10列9番)
ヴィクトリア・ムローヴァ(ヴァイオリン)
ガダニーニ(ガット弦)/ストラディヴァリウス「ジュールズ・フォーク」
アラスデア・ビートソン
フォルテピアノ/ヨハン・ゲオルグ・グレーバー製作(インスブルック1820年)
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第4番 イ短調 Op23
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番 ハ短調 Op30-2
(ピリオド楽器)
武満徹:妖精の距離 ヴァイオリンとピアノのための
ペルト:フラトレス
シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのロンド ロ短調 D895
(モダン楽器)
(アンコール)
ベートーヴェン:スプリング・ソナタから第二楽章
レス一覧
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ベルウッドさん、爆音になったんですか?じゃあ、聴きに行かないとな。(^^) ムローヴァだったんですね。長いキャリアですね。まだ積み上げることもできますでしょうし。私が初めてクラシックCDを聴くことに興味を持った時はムターほどではないが、若くして星が付いているプレイヤーという感じで、面だしされて並べられている感じでした。フィリップスだったかな。
byベルイマン at2022-11-28 12:10
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ベルイマンさん
ぜひ、また聴きに来てください。別途ご連絡いたします。
べつに爆音派になったわけではないのですが、あくまでも音源に合わせた音量設定ということです。2Hさんご来宅の折には、プログラム構成上、小音量再生から始まり、最後になってサンサーンスの「オルガン付き」で突然のように音量を上げたのでちょっと派手になってしまったかもしれません。
ただ、以前は爆音で低音で音が割れたり、変調異音が出たりすることがあってちょっと怖くなって、あまり爆音音源をかけることを避けていた時期がありました。それも、最近、ちょっとした対策が功を奏してアンプやスピーカー限界まで音量を上げられるようになりました。ただ、その分、高域の強さに部屋のレゾナンス上のクセがあるようで、それが課題かなと思います。
そんなこんなで、以前来ていただいた時よりもまた進化していると自負していますので、ぜひ、ベルマンさんのお耳で検証していただきたいと思っているのです。
東西冷戦の真っ只中の70年代から80年代前半は東側からの亡命者が相次ぎました。
ムローヴァは、82年に、チャイコフスキーコンクールで優勝、その直後にロシアから亡命しました。まだキャリアとしては駆け出しでむしろ亡命のドラマが醒めやらぬ時に、たまたま生で聴いたので、これまた鮮明な記憶として残っています。ロシアからの劇的な亡命者として有名だったバリシニコフのジャンプをアメリカン・バレー・シアターの舞台で初めて目の当たりにして感動したのもこの頃です。そういえば、同じ亡命者のキリル・コンドラシンもフィリップスレーベルでしたね。
byベルウッド at2022-11-29 13:50
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ベルウッドさん、ご無沙汰しています。
記事へのレスではなくて申し訳ないのですが、それでも是非ひと言御礼が申し上げたくてレスを入れさせていただきます。
ストラさんも交えたあの時期の交流が、とても楽しかったことを覚えています。その時にベルウッドさん宅への訪問をお願いした気がします。
サウンドはもとより、いただいたワインやチーズが忘れられません(笑)
本当に色々とお世話になり、ありがとうございました。
by矢切亭主人 at2022-11-29 22:13
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矢切亭主人さん
はい、私もあの頃が一番楽しかったです。とても懐かしい。その後、このコミュ独特のいろいろ嫌なことがありました。それでもこのコミュでの投稿を続けたのは、皆さんとの交流が楽しかったからです。いろいろ教えていただいたこともあって、自分のオーディオ人生(?)を豊かにしてくれましたから。
これからも交流の機会あればぜひともよろしくお願いいたします。私からも御礼申し上げます。
byベルウッド at2022-11-30 00:05