日記
トランジェントをデザインする時代からその先へ
2020年04月11日
トランジェントとか位相とか難しくて考えたくもない、音楽が身に染み入って聴ければそれで良い話ではありますが、最近のエンジニアの音作り傾向の変化に少々感銘を覚えているので備忘録的に。
制作現場で"積極的に"トランジェントをデザインすることが流行り始めたのは、SPL Transient Designerというその名の通りの機材が出たことがきっかけでしょう。1999年のことです。それまでトランジェントを気にしなかったかと言えばもちろんそうではなく、昔っからコンプやリミッター、ゲートなどダイナミクス系のアウトボードは腐るほどあり、また使われていない作品はないほどに多用されてきました。しかしながら、それらは録り音のコントロールが目的であったり積極的に音作りへ関わるエフェクターとして機能するのに対して、Transient Designerがトランジェントに着目した単機能製品として発売されたのは少なからずそれらをデザインする方向へ持って行ったのです。

https://rittor-music.jp/sound/productreview/2001/01/1091
詳しい説明は、当時の取扱説明書のTech Talkに載っています
https://spl.audio/wp-content/uploads/transient_designer_2_9946_manual.pdf
※話がそれますが、SPLは今も昔も画期的な製品を世に出し、流行りを作ることに長けています。制作現場の課題をうまくとらえているとも言えます。Transient Designerのほかには、デジタルミックスに対するサミングミキサー、オペアンプの動作電圧限界を超える120Vテクノロジー、マルチチェイン化が甚だしい昨今の処理系を逆手に取ったパッシブEQ等々。
Transient Designerは当時音圧競争真っただ中で(今も?)、ドラムはペチペチ、ピアノはある種のエレピと変わらないほど無残に変調し、ダイナミクスもへったくれもないものが求められる中、各楽器のアタックを少しでも残したいという要望にあっていました。言わばある種の制約における解決策になり、同種の製品は今では数えきれないほどあります。
Transient Designerは、まあアナログ機材なので、アタックとサスティンしかパラメータがありませんでしたが、デジタルプラグインでは多様に変化させる製品が続々と出ています。

https://oeksound.com/plugins/spiff/
同じように最近流行り始めたものとしてはダイナミックEQがあります。これは帯域別のEQとマルチバンドコンプを組み合わせたようなもので、EQのバンドに対してコンプをかけることができ、この帯域だけピークが、、、と言った時に重宝します。これも、前述の通りコンプはトランジェントを変化させるものではありますが、よりドラスティックに影響を及ぼすものです。
トランジェントのモデル化は、コンプとリミッターのパラメータが示す通り、昔はアタックとリリースしかありませんでした。一方より作曲/演奏側に目を向けるとアナログシンセサイザーにはアタック、ディケイ、サスティン、リリースのパラメータがあり自在に音を作り上げてきました。頭文字を取ってADSRと言ったりします。それを取り入れる形で物理特性を立ち上がりのアタックと減衰特性によるディケイ、固有振動周波数の共振によるサスティン、そしてやがて無音となるリリースとADSRとしての見なしたり、更には先の通り帯域別の観点もありますから、その取り組みは日進月歩です。
さて、こういった積極的にトランジェントをデザインする行為は、音楽作品としての構成要素ではなく、編集段階で果たして本当に有用なのでしょうか?極めて理想的なレコーディングロケーションで、楽曲構成に無理がないものでも?どちらかというと市場に求められているからという受動的な理由でしかないように思います。他にも似たような例を挙げてみます。
DGGが一時期集中的に取り組み、今でも欧州で主流となっている、4D録音/OIBP復刻で採用したマルチマイクの位相管理。すべてのマイクのアタックをデジタル上で揃えてしまう。位相観点からそれは正しいように見えますが、トランジェントのうちアタックより後はぐちゃぐちゃに崩れます。聞こえは良いけれど、奥行きもへったくれもない音源、よくありますよね。
ノイズへの異常な執着。そりゃマイクで録ってるんだから若干のノイズは仕方ないと思いますが、背景ノイズが全く聞こえないほどノイズ除去処理で消し込みます。できるだけ大きい音で録り込むためにオンマイク傾向が顕著になります。出来上がるのは、宇宙空間で鳴っているかのような丸で現実感のない音像定位。
本当にそれらは市場で求められているのでしょうか。音圧競争は負の遺産となりました。トランジェントのデザインは、より音楽的な表現のために使われるようになっています。
最近、過去の慣習に呪縛されていない録音がぽつぽつと出るようになりました。エンジニアが世代変わりしたというのもあるでしょう。注目しているエンジニアを2人挙げます。
Aline Blondiau - http://a-record.com/collaborators/collaborators.html
Purcell: Songs & Dances

Jean-Daniel Noir - https://www.studionoir.ch/
Antonio Draghi & Leonardo García Alarcón: El Prometeo

どちらの録音も上述の観点から言えば厳しいものです。各楽器の発音にはずれが見られるしノイズも多めです。しかしながら、これが朗々と鳴ってくれるのです。何が正しい音なのかはわかりませんが、自分はこれが在るべき姿と思います。何より新しい世代のエンジニアが出てきて、ステレオ初期の録音で感じさせてくれた録音の空気が漂うような音源が、今この時代になって復活しつつあることに大変感動しています。
話は外れますが、エンジニア/アーティストのモニターの特性とは逆特性となって音源には反映されるというのは、まさに正論なのですが経験上違います。彼らは、自分の理想とするものが、そのモニターの癖を加味した上でどう鳴っているかを知っています。誰もモニターが本当に無味無臭フラットだとは思っていません。ただし、モニターの癖の中では意識下に捉えられていない部分もあります。それは、音源にモニターの癖がそのまま反映されるのです。BISのBahrがSTAXを使い続けていた時代の録音は、どこかSTAXの音がします。欧州にはAKG K1000信仰が強い地域がありますが、それらの録音も同様です。
さて、話は戻りますが、他ジャンルはまだしも実演奏を前提にしたクラシックで、音楽性を豊かにするために積極的に音作りに取り組むのはありなのでしょうか。今までに例が無いわけではありません。グールドが有名です。映像が残っているほか、当時のフェーダーワークを再現した映像付きのCDも出ています。
残念ながら自分はそれらの録音があまり好きではありません、でした。どうも不自然に聞こえてしまうのです。ヴィキングル・オラフソンはその種のアプローチをとっている一人です。良いピアニストだとは思いますが、その制作アプローチには疑問を残すところでフィリップ・グラスとバッハの過去2作品はいまいちピンと来ていませんでした。
ところが、この前のDGGの各アーティストの自宅演奏配信で、オラフソンのを見て変わりました。見るに、極めてロジカルなぶっ飛んだ天才という印象を受け、そのトークから彼の考えている何かが、わずかばかりながらつかめたような気がしたのです。その映像が現在みられないのは残念ですが、ともかく、それを見てから最新作のラモー&ドビュッシーを聴くと、もちろんエンジニアリングの完成度が過去2作品とは比べ物にならないほど高まっているのもありますが、なるほど、これは作品として素晴らしいものに仕上がっていると印象ががらりと変わりました。
音源の印象は前提知識に左右されるとは理屈としても実感としても知っていたものの、ここまで変わるとは思いもしませんでした。これもこれからの音楽制作が進むべき道なのかもしれません。
意識的にとりとめもない文章を書いてみました。身辺雑記として。
レス一覧
-
おはようございます。
有料コテンツが間違って流出しちゃった感がハンパない内容です(^ー^)
雑記などと・・・とんでもありません。
bynightwish_daisu at2020-04-11 08:00
-
こんにちは。さすがの内容ですね。
>何より新しい世代のエンジニアが出てきて、ステレオ初期の録音で感じさせてくれた録音の空気が漂うような音源が、今この時代になって復活しつつあることに大変感動しています。
勉強不足で私にはこの潮流はまだ分かりませんが、同じくステレオ初期の空気感が好きな者として喜ばしい流れです。ご紹介の音源もチェックしますね、ありがとうございます。
オラフソンはおっしゃる様に苦手なタイプの録音なのですが、新作聴き込んでみます。
では。
bykanata at2020-04-11 09:51
-
お早うございます。何時もの日記は難しくてついていけないのですが、今日のお話は文系感覚人間にもしっくりハマる所が多く、レスさせて戴きます。
DGGのOIBP復刻版の平板さ、最近のアルファレーベルの録音の斬新さ(面食らう場合もありますが)、オラフソンの作品(録音もそうですが演奏も考え抜かれて意図的に選択されている)の人工物としての面白さと言った所が、全て自分が感じていた事を別の視点で語っていただいた気がしました。こういう事だったのかと驚いてしまいました。
byパグ太郎 at2020-04-11 10:06
-
おはようございます。
お詳しいですね。
>エンジニア/アーティストのモニターの特性とは逆特性となって音源には反映されるというのは、まさに正論なのですが経験上違います。彼らは、自分の理想とするものが、そのモニターの癖を加味した上でどう鳴っているかを知っています。
これは、まったくその通りだと思います。
byベルウッド at2020-04-11 10:48
-
皆様、レスありがとうございます。
頭の中に浮かんだ題目を無理やり線でつないだものですので、あまり真剣に捉えないでいただければ。読んでくださってありがとうございます。
一括での返信とはなりますが、今後ともよろしくお願いします。
byserieril at2020-04-11 12:20
-
serierilさん こんにちは。
トランジェントの話だったのでTransModというプラグインの事にも触れるかなと思ったら登場せず…。
https://www.minet.jp/brand/sonnox/oxford-transmod/
もしかしたら業界的に使ってはダメなクオリティの類のものかも知れませんが、私はこれで各トラックの定位位置を前に出したり奥に引っ込めたりする方法の一部かじる事が出来ました。もちろん他の操作でも似たような事は可能なのですが。(狙ってパラメータを振った多段コンプとか)
byhigh speed at2020-04-11 15:42
-
high speedさん、こんにちは。
トランジェント処理に対する総説を狙った話ではないことご容赦ください。Sonnoxのプラグインは、あまり自分に馴染まず本格的に使ったことはないのですが、目的にあった効果が得られたのであればそれは素晴らしいプラグインだと思います。
恐らく、トランジェント処理については、TruePeakの話も絡んできて、最近の多種多様なダイナミクス処理と関連させて、そのうちSOS誌あたりが総特集など組むんではないかと思います。
byserieril at2020-04-11 16:03
レスを書く