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親からオーディオ機器を引き継いだのをきっかけにずぶずぶと。今はPCオーディオ中心にいろいろトライしています。 でも今のところ旧来のオーディオに超える音は出てくれない。

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日記

Oded Tzur/Isabela(クロスオーバーの可能性と記号化の弊害について)

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2022年11月29日

Oded Tzur/Isabelaを聴いた。Oded Tzurは、元々アカデミックに学んだほどのクラシック畑でありながら、インド音楽に目覚め、インドにまで留学したという。インド音楽には、ラーガというモードであり、音楽的哲学のミームのようなものがあり、彼の琴線に触れたということだろう。

本アルバムは、ラーガをベースにしたOded Tzurのサックスがジャズとインド音楽の間を、さながらラーガのようにたゆたいながら進んでいく。珠玉ぞろいだが、その中でも特筆すべきは、最後を飾る「Love Song for the Rainy Season」だ。冒頭は、ラーガを用いたキャッチ―なフレーズをOded Tzurが提示し、ピアノ、ベース、ドラムの各メンバーが呼応する形で展開する。冒頭の提示の段階でラーガはミームであるように、聴いた自分が衝撃を受けたように、他のメンバーも自身の音楽感を相当揺さぶられたようだ。

Oded Tzurに次ぐピアノのNitai Hershkovitsは、ピアノでは発音構造上ラーガのフレーズが難しいからもあるだろうが、困惑したような、インド音楽とジャズのどちらかに寄せれば良いのか判断つきかねるような印象だ。そこでベースのPetros Klampanisは、ややリズムをはっきりさせた奏法に変え、ジャズムードに変わる。そこからドラムのJohnathan Blakeはこれが俺の(ミーム的な意味合いでの)ラーガだといわんばかりに、インプロビゼーション爆発のアドリブを魅せる。そしてOded Tzurに戻るわけだが、Johnathan Blakeのラーガに触発されたのか、冒頭と同じとは思えないほど、熱の入った、魂が奮い立っているような音を出す。魂と魂のぶつかり合いがインド音楽のラーガをベースに繰り広げられる。

ジャズにしては、リバーブがやや深い、ECM独特のサウンドが基調になっている。クラシック畑だったOded Tzurの演奏もあいまって、ともすると一時期高音質レーベルでよく見られたクラシック文脈で録られたジャズであるようにも感じる。ブックレットを見ると、実際の録音場所もクラシックの小編成を想定したサブホールで、3点吊りマイクを用いているあたりクラシック風だ。しかし、プロデューサーのManfred Eicherは、芯を外しておらず、ジャズとしての絶妙なバランスを維持する。ドラムソロは完全にジャズなため、パッと聞きでリバーブが深すぎるように感じるが、考え方を変えれば「for the Rainy Season」の名が示す通り、雨季の雨上がりのムッとするような熱気を感じることさえできる。エンジニアは、評判のいいAmerioだった。個人的には、ミッドローに厚みを持たせてエナジーを出すのが得意な印象だったが、こんな繊細で難しい録音のコントロールができるとは、いやはや脱帽だ。


この手のクロスオーバーものは、得てして中途半端になりがちで、形だけを真似たもの、とりあえず要素を入れてみた程度で全体の完成度が低いものなどになりがちだ。完成度が高いもので言うと、最近だとZakir Hussainが参加したGood Hopeが浮かぶが、軸足をジャズにおいており、クロスオーバーと言い切るには疑問符が残る。精神性まで融合した本アルバムは、クロスオーバー・ジャズと分類するには罪悪感が残るほどの名盤と言えよう。


もっとも、自分はいわゆるクロスオーバーものが好きな方だ。一昔前はクラシックとアニソンしか聞かなかったが、どちらも広義的にはクロスオーバーの宝庫だ。特にアニソンの方は、これとこれくっつけたら、もっといいもんになる、というような良くも悪くもチャレンジ精神にあふれた作品が多数ある。そういうのを聞いて、新しいジャンルに目覚めたりもした。同人音楽のフィールドでは、完成度やいわゆるパッケージ感を抜きにすれば、今回の「Love Song for the Rainy Season」のような、原石的な輝きにめぐり合うこともしばしばあった。

アニソンは、音楽のジャンルではないとよく言ったものだ。一方で、そうと捉えていない人たちもいる。2015年頃にぽろぽろと出ていたアニソンLPの価格がここ1-2年で急上昇していることに最近気づいた。代表的なのは「君の名は」のサントラで、現在の相場は7万円弱。Aimer/Broken Nightが3万弱、その他のものも2万弱から5万弱で推移する。何の気になしに買っていたレコードが一財産になっていた。

アニメ関連アーティストのLPがすべて高騰しているかというとそうではない。Radwimps/人間開花は、2万円弱と高額ではあるが「君の名は」ほどではないし、Kalafinaのアルバムは1万円弱と言ったところだ。これらを見ていて気づいたことがいくつかあった。
ヤフオクを見ていると、海外転送業者と思わしきアカウントによる落札がほとんどだ。国内ではまだ定価で買えるものも高値で落ちている事も裏づけている。そして、高騰する盤のほとんどがアニメジャケであることだ。

アニメジャケだから高値で買う層が海外にいるのだろう。「アニソンは、音楽のジャンルではない」どころか、音楽とさえ見なされておらず、アニメ風の絵に需要があるのだ。シティポップ風のジャケであれば高値であるように、一種の特徴が記号化されて、独り歩きしているようにも感じる。もっとも、日本人だって人のことを言えない。例えばBlue Noteを記号化して捉えている人が自分も含めどれだけいることだろうか。

この記号化の弊害について、考えることが多い。記号化して売れるとなると、極めてビジネスライクに模倣した商品が増えてくる。広い目線で見れば、LP復活の流れもそうであるし、あるいはクロスオーバーのネタ元だってそうだ。しかし、その手の商品は、消費物であって、「Love Song for the Rainy Season」のような、原石的な輝きは持っていない。真なる芸術とは、数えきれない試行の中で、意識の外からやってくるものなのだ。

「作品はさながらメルヘンの妖精のように語る。あなたにぜひ欲しいものがあるなら、あなたにあげましょう、でもあなたに気づかれないようにと。言説的な認識の真なるものは、隠されてはいないが、そのかわりその認識は真なるものを持たない。芸術という認識は真なるものを持つが、芸術には測り知れないものとしてである」テオドール・アドルノ

願わくば、記号化される前の原石に、この手で出合いたい。原初の感動に立ち合いたい。その一心だ。

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