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2011年、4年間の上海駐在を終えて東京に帰任。 東京の狭い部屋でLAT1と家族と同居。 2017年、10年ぶりに上海に赴任。 LAT1と逢瀬と一緒に暮らしています。 一生懸命に生きていれ…

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LAT1 & 逢瀬の部屋
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借家(マンション) / 専用室 / オーディオ・シアター兼用ルーム / 16畳~ / 防音なし / スクリーンなし / ~2ch
二度目の上海。3LDKに一人暮らしです。 思い切ってリビングをオーディオ専用にしました。 上海の「音が見える部屋」まであと少し!? <現在のシステム 2021年3月~> …
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日記

ベートーヴェンは人類を癒すのか

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2015年03月02日

「バッハが信仰の造型であり、モーツアルトが天上の理想であるなら、ベートーヴェンは「人間のすべて」です。

ベートーヴェンの9つある交響曲、弦楽四重奏を指揮したり演奏したりするほど、私は自分を小さくみすぼらしく力のないものに覚えることはありません。

しかしそれと同時に、自分も含めて人間というものがいかに偉大で不滅でそして崇高であることを感ずるのです。」



日本では戦後70年となり、戦争体験の風化が心配されているが、世界ではこの間も戦争が絶えることがなかった。

ちょうどISISの問題が日本でもお茶の間を騒がせているころ、私はあるベートーヴェン全集を聞いて感銘を受けていた。




ダニエル・バレンボイム指揮West-Eastern Divan Orchestraの交響曲全集である。


一節によるとベートーヴェンの全集というのは100種類以上あるそうだ。(私もなんと20種類以上保有しているのを確認した)

どれかのライナーノーツに「これ以上新しい全集が出てくることに合理的な理由を見つけるのは難しい…」というような件があったかと思う。


そうだ、今やベートーヴェンの交響曲全集は、ファンのため、オーケストラのため、指揮者のために作られることが大半であり、新しい解釈を再提示する目的の場合は少ない。一方、バレンボイムとWest-Eastern Divanのベートーヴェンは違った意味で、大きな存在意義を提示しているように思う。


最初に誤解ないように言うと、私はこのオーケストラの音楽そのものよりも、政治的あるいは社会的な存在意義が大きいと言っているのではない。

むしろ、出てくる音楽が思いのほか素晴らしいと思い、その政治的・社会的・文化的が意義が一層際立っていると感じたのだ。


冒頭の一節は、故朝比奈隆氏の著作からである。私はこの一節を読んだ時に、ようやくベートーヴェンの音楽について、しっくりくる説明を文字で読んだ気がした。これは、ベートーヴェンの交響曲を聞いて胸が一杯になりながらも、言葉では説明できないもどかしさを、見事に代弁してくれている。私のように「聴く」だけでも、これほどに感動するのだから、演奏者の感動は計り知れない。


ベートーヴェンの音楽は、人間そのもの、人間の最も美しいところも最も醜いところもあまねく音楽で表現している。


戦後70年もたっているのに、未だに地球上には戦地があって、平和な日本とは全く異なる常識がそこにはある。

我々は彼らを全く異質なもの、あるいは無関係なものとして捉えがちであるが、本当にそうだろうか。

幸い、我々は平和で地理的にも離れた日本に暮らしているので、ISISの問題についても直視する必要もない。


しかし、ああいったことも我々と同じ人間が行っているということを考えると、人間というものの本質では何も変わらないのではないかと不安になる。

我々一人一人を見ても感じられない残虐性が、異なる文化的背景の国や民族という大きなくくりで見ると、集団的に発現している。

マクロ的には発見される残虐性が、個々人レベルにブレークダウンすると存在しないと言えるだろうか。


West-Eastern Divanオーケストラは、政治的には対立を続けるイスラエル人とアラブ人(レバノン、シリア)を分け隔てなく集めて一緒に演奏するオーケストラだ。バレンボイムは、ロシア系ユダヤ人であるが、イスラエルのやり方に公然と異を唱え、このようなオーケストラを主催するという行動も行っている。

半分戦争状態にあるような国の若者が集まってベートーヴェンを奏でる。そして、その音楽に、平和ボケした日本人の私が感動する。政治的、歴史的に対立し、集団的には残虐な行為に至っている地域であっても、個人個人を集めてベートーヴェンを演奏することで、集団的には観測されない、一人の人間としての姿が現れている気がする。

この不思議はベートーヴェンの音楽が、単なるメロディではなく、朝比奈氏の言うように人間の本質を示したものだからだろう。

バレンボイムの演奏するゆっくりした交響曲には、宗教的な祈りに似た感動を覚えた。

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  1. minormeetingさん おはようございます

    ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団は、2009年でしたかBBCプロミスに登場し、その映像をNHKBSで観た記憶があります。

    この楽団の名は、ゲーテの『西東詩集』に由来していて、ゲーテの生誕250年の1999年に、ユダヤ系指揮者ダニエル・バレンボイムとパレスチナ系文学者のエドワード・サイードにより設立されました。サイードは2003年に死去しましたが、その理念「共存への架け橋」を掲げバレンボイムのもとで引き続き活動を続けているようですね。

    団員は対立を続けるイスラエルとヨルダン・レバノン・シリアなどのアラブ諸国出身の若き音楽家達。毎年、その度に編成されて合宿し、ワークショップと演奏ツアーを行うというもの。

    あの時のプロミス出演は、その直前、ザルツブルクに続きかつてナチと手を握ったバイロイトにも乗り込んでいて、その凱旋公演といった風情でした。第一日目は、そのワグナーの「トリスタン」やリスト、ベルリオーズであり、第二日は逆にユダヤ系のベルク、そして第三日がベートーヴェンの「フィデリオ」全曲というものでした。

    ベートーヴェンというのは、ヒューマニズムの理想、矛盾と葛藤を経て汎神的な自由平等と究極の共和へめざすという政治的メッセージ音楽でもあるのでしょうね。

    ちなみに私は、ベートヴェン交響曲「全集」というものを一切持っていません(笑)。

    byベルウッド at2015-03-03 09:53

  2. ベルウッドさん

    ウェスト=イースタン・ディヴァンの補足ありがとうございます。そうですか、NHKで放送していたとは知りませんでした。見たかったですね。

    オーケストラのレベルアップのために毎年ベートーヴェンの交響曲を一曲ずつ演奏してレパートリーを増やしてきたと解説にありました。オーケーストラを演奏するには、他者の音を聴かなければハーモニーできないので、互いの音(声)を聴くという意義も象徴しているとか。

    バレンボイムを好んで聞いたいたわけではないのですが、これをきっかけに彼の演奏をもっと聞いてみようと思いました。

    byminormeeting at2015-03-03 23:28

  3. minormeetingさん お久しぶりです。

    冒頭の文章は、バッハのロ短調ミサ、モーツァルトのハ短調みさ、それにベートーベンの荘厳ミサを思いうかべると、言いえて妙だなと思いました。ベートーベンの荘厳ミサは、耳触りの良い楽曲だけではなく、まさしく人間の喜怒哀楽をすべて含んだ音楽のように思います。余談ですが、荘厳ミサのBenedictusのバイオリンのオブリガートのところが一番心に染み入ります。

    bytallis at2015-03-07 10:39

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