minormeeting
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2011年、4年間の上海駐在を終えて東京に帰任。 東京の狭い部屋でLAT1と家族と同居。 2017年、10年ぶりに上海に赴任。 LAT1と逢瀬と一緒に暮らしています。 一生懸命に生きていれ…

マイルーム

LAT1 & 逢瀬の部屋
LAT1 & 逢瀬の部屋
借家(マンション) / 専用室 / オーディオ・シアター兼用ルーム / 16畳~ / 防音なし / スクリーンなし / ~2ch
二度目の上海。3LDKに一人暮らしです。 思い切ってリビングをオーディオ専用にしました。 上海の「音が見える部屋」まであと少し!? <現在のシステム 2021年3月~> …
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日記

「二つの部屋」/第二話:過去にタイムスリップする部屋

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2017年03月09日

「過去に戻るか、現代に蘇らせるか」
・・・それが違いだ。


逢瀬の「音が見える部屋」と並んで私のお気に入りのオーディオルームがある。
「過去にタイムスリップする部屋」。

20畳を超える専用ルームで、英国製アンティーク椅子に座りながら、英国製他のヴィンテージ機器が奏でる音楽を聴く。機器の詳細は不明。音源はもちろんアナログであるが、カートリッジを含めて私には馴染みのない製品だ。

出てくる音はおおよその予想を覆し、繊細で清廉、ノイズレスで何よりバランスが良い。目を閉じると確かにホールを感じる。ソースは50年~70年代のクラシックが多いが、システムの年代と整合させているのだという。

レコードというと最低限のフロアノイズ(ヒスノイズ)や時折生じるパチパチ音(クリックノイズ)は不可避と思われがちだが、正しく整備されセッティングされた機器やソフトからは、これらノイズは極限まで排除されている。このため音楽の海に遠慮なく潜水することが出来る。ただ日によって調子が異なるそうで、オーナーはそれを自らの経験不足と言うが、私からするといつも期待以上の音が鳴っている。

部屋に入った瞬間にある種の緊張感がある。まるでコンサートホールに足を踏み入れた際に感じる空気と同じである。広い部屋にはオーディオとアンティーク家具しかない。床やカーペットはダークな色調でまとめられ、昼間であっても厚いカーテンがかかっていること、そして何より固有の静寂感がそう感じさせるのだろう。

私が心地よい緊張を感じたままリスニングルームのセンターに置かれた木製の椅子に座ると、オーナーによって静かにアナログの針が落とされる。最初は軽い音楽、例えばバッハのパルティータとかモーツアルトのピアノソナタから始めることが多い。夏は水出しコーヒー、冬はホットコーヒーが準備される。ここまでほとんど会話はなく、そしてそのまま静かに音楽を聴くことになる。

頃合いを見て再生が中断され次のディスクに移行するわけだが、そこでようやく近況や音楽の話をすることになる。第二幕は、ミケランジェリやフランソワが弾くショパンのピアノソナタなどを聴くことが典型的と言ってよい。このあたりまで来ると、私はこの部屋に入る前までに抱えていた心配事や考え事、物欲などというものから解放され、素直に音楽のみに没入できるのである。

私はアナログディスクを所有していないので、毎回、友人のおすすめ音楽を聴くことになる。音楽鑑賞の後半はだいたい彼の手料理を頂くことになるわけだが、音楽も含めてメニューは毎回お任せで全てが進行してゆく。



お替りしたコーヒーもぬるくなり、そろそろ食事が始まるなという頃、曲は協奏曲や交響曲に移っている。よく聴くソースは、シベリウス、ワーグナー、ベートーヴェンそしてマーラーである。順番もだいたいこのような感じで、部屋の外も暗くなり本格的にオーディオルームが薄暗いコンサートホールになってくると、「大地の歌」や「第九」が鳴り始めることになる。

一連の曲目はまるで一人の人生を見るようだ。生まれたばかりの子供と重なる性善的なバロックから始まり、若いころの快活な時代、それから成熟期を経て老年期に至る。人生のピークを迎えるころにはワーグナーのタンホイザー序曲が盛り上げ、人生の終わりは大地の歌の告別が告げる。
毎回このような濃密な時間を過ごすことになるのだが、帰るころには一つの修業でも終えたような感覚で、少なくとも精神的には一つ年を重ねたような気になるのである。

不思議なのは、彼とはオーディオらしい話をほとんどしないことだ。話の大半は音楽についてである。フォノアンプ、ケーブル、パワーアンプなど質問しなければ何もわからないシステムだが、出てくる音を聴くと、システムの詳細な情報などは無用と思えるほどの説得力がある。もちろん、私にはヴィンテージオーディオの知識が全く足りていないというのもあると思うが、本人も多くを語ることはない。


さて、肝心の音質である。これを語らないとタイムスリップするという本当の意味が伝わらない。

この部屋の音はコンサートホールの2階席に相当する。概ね目線よりも低いポジションで、スピーカーより後ろ側にステージが展開する。初めて聞くと、若干肩すかしを食らうかもしれない。この音は老獪だ。肩の力が抜けていて、こちらが「楽しませてくれるかな」と期待していてもスルリと交わされてしまう。オーディオ的に評価されることを達観的に見越しているのか、すぐにはその実力が分からないのである。

しかし時間が経つにつれ、この部屋の音こそ「何も足さない・何も引かない」音だということに気づくだろう。ハイエンド・オーディオの褒め言葉として繰り返されるこのフレーズは、我々よりも年齢を重ねたこの機器にも当てはまる。つまりそれくらい自然な音なのだ。

いつから、我々はアナログやヴィンテージの音が古臭いもの、特異なものという先入観を持ったのだろう。
私は、この部屋でオーディオを聴くまで、「昔の人は悪い音で音楽を聞くしかなかったので、かわいそうだった」と思っていた。しかし、実際にかわいそうなのは中途半端なデジタル機器で音楽を聴いている我々だった、ということが、やんわりとそしてゆっくりと諭されたのである。

確かにデジタル時代になって音を自由に加工できるようになった。しかし、人工的な加工があまりに過多となったことで、我々オーディオマニアはヒットソングが楽しめなくなったのではないか。大半のPOPSの録音が普遍的に悪いことは我々の常識だ。ハイエンド・オーディオで聴いても、音が良くならないようなソフトが巷に溢れている状況は、実は非常に不幸なことで、昔の人がこの状況を知れば、逆に同情するに違いない。

アナログに対する先入観が消え去り、素直に「良い音」を受け入れた時、今までに感じたことのない不思議な体験をした。1960年代のロンドンでレコーディングされたマーラーを聞いていた時に「懐かしい」と感じたのである。まるで自分がその演奏会に行っており、後日、録音でその日の演奏を聞いた時に感じるであろう懐かしさ。自分が生まれる前の演奏を聴いているのに、懐かしいという感情が生じる・・・なんとも背筋が寒くなるような体験である。そう、タイムスリップ。このシステムは、過去の演奏がそのまま再生されるので、現代に生きる我々はその音を通じて過去に戻れるのだ。イメージ的には、ロイヤル・フェスティバル・ホールの2階席の前の空中にポカンと窓が開いてそこから過去の演奏を生で聴いてきたような感覚。

逢瀬の音が見える部屋で同じ音源を再生してみると、もちろん別の演奏に聞こえるのは予想通りとしても、聞き手の印象が全く反対であることが分かった。音が見える部屋では、かなり新しい録音のように聞こえるのに対し、タイムスリップする部屋では過去の演奏がそのまま鳴っている印象である。同じ演奏を、聞き手が過去に戻って聴くのか、あるいは演奏を現代に蘇らせるのかの違いと言ってよい。


さて、私のシステムはどちらに向うのか?

残念ながら答えは選択式ではない。というのも、タイムスリップする部屋を手に入れることは、音が見える部屋よりも難しく相当の技量が必要だからだ。理想的にはどちらも所有したいがそれは無理というもの。

まずは「音の見える部屋」を造ろう。
彼の地での生活を彩るため、あきらめではなく嬉々として。


二つの部屋・完

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