日記
心に残るコンサート・ライブ
2022年08月30日
50年近く前のおはなし。
皆さんも多くのコンサート・ライブに出かけたと思います。
私も最近こそ、それほど行きませんが、若い頃は沢山のコンサートに行きました。
少なくとも、月一回ぐらいのペースで友人と出かけていました。
多い時は、週一ぐらい。
一番多く行ったのが、フォーク・ロック音楽です。
クラシック音楽は数えるほど、ジャスに関しては、まったく行きませんでした。
クラシック音楽を行かない理由は、ただひとつ料金が高い。
安くても7800円、高いと9800円、しょっちゅう行ける金額ではありません。
当時の給与が手取り5万円そこそこ。
フォークやロックは、精々高くても3800円。
それも外国からのロックアーティスト。
国内のフォークシンガーなら1800円から2500円程度。
丁度、LPレコード一枚分。
記憶に残るコンサートライブをいくつか・・・・
全て10代後半から20代の頃の時代です。
【音質的、音響的に優れたもの】美乃屋セントラルステーションと大橋純子
新宿厚生年金会館の小ホールで行われた3月3日、ひな祭りコンサートと名打ったライブ。
大ホールでは、シルヴィバルタンのライブが。
小ホールで3人のシンガーによるライブ。
他は、山崎ハコと庄野真代だった気がするが、定かではない。
その内の大橋純子のライブです。
後にも先にも、あれほど完成されたサウンドに出会ったことがない。
その数か月後、野毛の県民ホールでも聴きましたが、納得出来る音ではなかった。
この小ホールでのサウンドは、まさに渾然一体と聴こえてきた。
ドラムのタムタム、スネア、バス、リードギター、リズムギター、ベースそれぞれの単音が!
しっかりと混ざり合うことなく聴こえ、眼前に迫ってくる。
その中に、純子さんの迫力ある歌声がセンターに浮かび上がる。
その感動を今でも・・・・。
後で理解出来たことだが、オーディオにおける器(うつわ)の大切さ、大事さ。
つまり、部屋、リスニングルームの構造や壁面や広さがもっとも重要であることを知る。
【音楽・音を超越したもの】高橋竹山
職場の5つ上の先輩が三味線を始めてしばらく・・・・
先輩:「○○(私)、コンサート行かないかー」
私:「何のですかー」
先輩:「高橋竹山だよ、野毛の県民ホールだ」
私:「行きます、行きます」2つ返事で。
当時、私は津軽三味線の有名な奏者としか、知りませんでしたが。
一度は、聴いてみたいと思っていたので。
ただ記憶が曖昧で、県民ホールじゃないかも?
幕が上がり、座布団の上に竹山氏がポツンと。
弾き出した瞬間、一瞬怒号ともいえぬ声が、オオー・・・と観客席から。
とても一人で弾いているとは思えない。
もちろんマイクは一本である。
一曲終わっても、拍手を忘れるほど、間があってからの拍手。
これは、もう音楽・音・サウンドなどと言う形容詞では表せない。失礼になる。
魂の叫び、生き様がひしひしと伝わってくる。
もう二度と、一生味わえない体験であった。
【迫力・圧倒・度肝を抜いたサウンド】ムーディブルース
外タレ、イギリスのプログレッシブロックの雄。
最も好きなグループの一つ。
座ったアリーナ席が、前から6番目の右側。
友人と顔を見合わせて、んんー。一言「壁ジャン」!
アーティストが良く見えないし、音も聴き難いし、演奏する前、そう思いました。
演奏が始まって、それは壁じゃないことに・・・・・・
スピーカーの群れでした。
それは、音楽と言うよりも振動です。
武道館を出たあとも、しばらく耳の中が体が、ジーンと。
今でも当時のパンフレットがある。
【和やか、ほんわか暖かムードの雰囲気】五輪真弓
それは今、もう無くなってしまった、渋谷道玄坂のライブスポット「ジャンジャン」で行われた。
当時、友人といろいろな国内アーティストのライブに出かけた。
新宿ルイード、三軒茶屋の○○、どこかの訳分からないライブスポット。
おもしろそうだ! と思えば即出向いた。
このライブでは、レコーディングされていて。 もちろん、そんな事梅雨知らず。
真弓さんが一言:「お前ら、声が入るから覚悟しておけよ」
外は真冬でも室内は、とても暖かな、心地よい空間に包まれた。
他にも美里や米米など名もなきライブにも出かけた。
割と最近だとモンハイトやヤンセンやユリアも。
若い頃から行った。この沢山のコンサート・ライブがいい経験となり、
今のサウンド作りに役立っています。
月齢:03
天候:雨
気温:℃
ひとりごとーその529
レス一覧
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BBさん
初めまして。
正確には覚えていないのですが私も40数年前に高橋竹山さんの演奏を聴きました。確か武満徹さんの『ノヴェンバーステップス』をN饗の定期演奏会で。この時は琵琶の鶴田錦史さんとの共演。指揮者は記憶にありません。(誰だろう、岩城さんか外山さんあたりか)その時の演奏があまりにも強烈な印象として残っていますというか、この日記で記憶を掘り起こして頂きました。土曜日の2時からの演奏会。大学の授業を昼過ぎに終えてNHKホールに向かった記憶が蘇りました。
bycozycozycozy at2022-08-30 20:09
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BBさん
更に記憶が蘇りました。
先のコメントの『ノヴェンバーステップス』の演奏時、高橋さんと鶴田さんは会場後ろから歩きながら登場したような気がします。いずれにしろ両者ともに圧倒的な感動をもたらす演奏でした。そして武満さんも会場にいらしていたと思います。
bycozycozycozy at2022-08-30 20:59
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cozycozycozyさん、レスありがとうございます。
あなたも私と同じように、感動したことがよく伝わります。
とにかく”素晴らしい”の一言。
私の場合、多分?単独演奏会だった記憶。
もしかすると共演者がいたかも知れません。
なにしろ圧倒的な、その音に感服してしまいました。
私もcozycozycozyさんも同じ幸せな空間を味わえて良かったです。
BBより(=^・^
byブルースブラザース at2022-09-01 09:09
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BBさま
当方も結婚前は現在の奥様が応援するフォーク系アーティストのコンサートとかに良く行ってました。
所帯を持ってからライブは疎遠になりましたが、それでもスポーツランド菅生での屋外ライブ「ロックンロールオリンピック'86」や1994年家族4人で七ヶ浜国際村で催された「上々颱風(しゃんしゃんたいふーん)」のライブが印象的です。この当時の上々颱風はジブリアニメの主題歌に抜擢されてアブラが最も乗っていた時期でしたので子供でも感激できるサービス満点なライブでした。(遠い目・・)
byたかけん at2022-09-03 07:56
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【追伸】最も最近の大切なライブの事を書き漏らしました・・
高橋竹山氏は同姓と言うこともあって、それなりに思い入れがあってマスターサウンド盤とか入手していたのですが、2019年から2年間、青森市内に単身赴任になり、竹山の故郷がある平内町の記念館や市内の図書館で竹山に関する音楽や映画の資料など全てを鑑賞しました。
2021年3月、仙台への転勤が決まって青森最後の夜は浅虫温泉の「津軽三味線生演奏」が楽しめる宿に泊まって、ディナーで竹山の弟子の親戚?の若手女性奏者の津軽三味線生演奏のライブで引っ越し手伝いに来ていただいたウチの奥様も大感激したようです。
1984年から2年間、青森に転勤していて、その気になれば生前の竹山氏ご本人の生演奏も聴けたのでしょうが、20代前半の若造にはそれらの価値も分からずバイクとオーディオに夢中になっていましたので、ホントに勿体なかったのですが、翌月の月給まで綱渡り状態とでしたから当時の自分には竹山生演奏が聴ける場所への出入りなんて雲の上の世界だったのかもしれませんね・・(汗)
byたかけん at2022-09-03 16:48
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たかけんさん、おはようございます。
若干ですが世代間ギャップを感じます。まぁそんな事はどうでもいいのですが。
楽しまれた様子が伝わってきます。
”竹山の弟子の親戚?の若手女性奏者”
↑、多分これって2代目竹山、だと思われます。
当時はまだ名乗ってなかったかも!
今年中に、平内町の記念館へ行くつもりです。
BBより(=^・^
byブルースブラザース at2022-09-04 07:54