日記
デジタル・コンテンツの「私的複製権」はあるのか?
2015年08月03日
示唆に富む講演ということで前回紹介した「改正著作権法で見えてきたもの 福井健策(弁護士・日本大学芸術学部客員教授)」の講演内容のつづきです。
「私的複製権」はあるのか? という項目の中で、次のような話が出ています。
(以下、引用です)
今度は「技術的保護手段」についてです。ご存じの通り、DVDの「リッピング禁止」と呼ばれた今回の「技術的保護手段関連の改正」は、あまりネット上では評判は良くありませんでした。その評判の悪さは、概ねDVDの部分にあったような気がします。というのは、ご存じの通りDVDはDRM(※)が非常にきついので、一般の人にはコピー視聴がそもそもできないのです。一回もできません。だからこそ、技術的に抜け穴を探して逃れて、「リッピング」しようとするわけです。コピー視聴が一回もできないということは、「私的複製」ができないということです。「技術によって私的複製をできなくしてしまってそれでいいのか」という問題意識が根底にはある。いや、そう言語化はされていないにしても、DRM自体への不満が批判の根底にはあったように思えます。
ここで、ちょっと既視感を持って思い出すケースがあります。それは「CCCD」(コピーコントロールCD)という製品が登場した時に、これは全くコピーできないというものではなかったけれども、コピーがかなり限定されていた。この時、「ちょっと待て。私的複製を勝手にメーカーの都合でできなくしてもいいのか。私的複製はユーザーの権利ではないか」ということが言われました。(中略)私も条文上は、どう読んでも「私的複製」はあくまでも「複製権に対する例外」であって、「私的複製」ができる法的権利なるものをユーザーに認めるのは、現在の実定法上は無理だろうなと思います。にもかかわらず、でも何か「私的複製」ができるというユーザーの利益は「法的保護に値する」のではないのか、それは「何らかの法益」ではないのか、という問題意識は根強くあるように思うのです。
(中略)
弁護士の野口祐子さんが「デジタル時代の著作権」という著書の中でかなり詳しく書いていらっしゃるところですけれども、(DRMには)そういう多様な機能があり得るものだから、DRMを全く禁止するというのは私には極論に思えます。極論には思えるけれども、しかしながら今回の改正には、やはり少し疑問が残りました。
改正はつまりこうです。DRMという私企業、私人が「著作権法の制限規程」にかかわらずかけた、コピー禁止なりアクセス禁止という「制限」技術がある。その時に、それを技術で乗り越えると法的に「サンクションを与える」というわけです。
つまり、「私人が決めたある種の強制=ルールについて、国家がその実効性に手を貸してやる」という意味で、これがいわゆる「共同規制」ですよね。「共同規制」であるならば、通常はそのDRMの内容に対しても国家に何らかの発言権が出てきて然るべきなのです。「どんなに無茶な内容でも構わない。それを国家は後押ししましょう」というのは、少し受け入れにくい考えですね。(引用終わり)
※DRM Digital Rights Management デジタル著作権管理。デジタルデータとして表現されたコンテンツの著作権を保護し、その利用や複製を制御・制限する技術の総称。
好むと好まざるとにかかわらず各位がじっくり考えるべきテーマですね。なお、前回の「デジタル・コンテンツのありようと今後の展開」でも触れましたテレビの視聴率などに関連して、次のところに面白い調査記事があります。
http://www.travelvoice.jp/20150727-44873
これをリファーした次の記事も面白いです。
http://bto-pc.jp/btopc-com/etc/2015-08-02.html
この頁の「男性はテレビ視聴減少が顕著」という箇所ですが、一部引用します。
「なぜテレビを見ない人が増えたかはこの辺りでしょう。
バラエティ・・・芸人が無茶しなさすぎて全然笑えない
歌番組・・・・・歌詞がクズ、素人のカラオケの方が歌が上手い
ドラマ・・・・・カリスマ的な俳優や女優が見当たらない
スポーツ・・・・本気で好きな人は地上波で見ないと思う
報道・・・・・・ウソ、大げさ、紛らわしい、隠し事や反日志向多い
本気でテレビ好きな人は金を払ってでもCSなどで契約し、真実を知りたい人はネットを徘徊する現代。テレビや新聞のような時代遅れなウソつきメディアはもっと縮小しても良いと思う」(引用終わり)
<ここで謹告>
私のこの日記にSACDリッピング「違法論」に基づくレスはやめてください。それがあった場合は「不当な中傷」に当たらないかどうか吟味の上、その疑いがあれば当コミュ編集部に通報し所定の処分の検討をお願いするとともに、私のこの日記へのそのような不当レスは即刻削除しますので、予めお含み置き願います。
レス一覧
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CDは私的利用目的の複製が認められ、かつ技術的には複製に対する保護手段が無いが故に著作権所有者に無断で複製し頒布・販売するなど正真正銘の違法コピーに対し実質無防備になってしまったわけです。
メディアが何であれデジタルコンテンツならば、同じ問題を抱えていることは自明ですね。
かもん氏は法律にも造詣が深いとのことですから、私的利用目的の複製は利用者の権利と主張する(※引用している記事からそう見られるのは自然)なら、違法コピーの問題を(法的に)どのように解決するのか対案を示すべきだと思いますがいかがでしょう。
それとも前回の日記から察するにデジタルでのマネタイズが困難なのは時代の流れなのだから、全てのメディアがそうなっても仕方のないことだとでもいうのでしょうか
byオーディオ侍 at2015-08-03 19:00
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TVを観ないとか、ここ数年若者の何とか離れって言われているが
スマホなどやっている影響でしょうか?
byぽんち at2015-08-03 20:04
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オーディオ侍さん、レスありがとうございます。
まず私が前回・今回とデジタルコンテンツについて書いている理由を説明します。先週初めに「SACDリッピング違法論」の法的根拠をお尋ねしたところ、かなりの反響があって、相当ホットな状況になりましたが、私としてはあくまで法律解釈論からみて、違法論の法的根拠をお尋ねしているスタンスに変わりはありません。ただ、この著作権法というのは非常に難しい法律で、いろんな事柄、いろんな事案でそれが違法なのかそうでないのかについて多くの議論がある、そういう法律だと聞いています。
そういうことであれば柔軟な思考の持ち主とみられる法律家のお考えを、双方が頭を冷やして虚心坦懐に伺ってみよう、その考え方の背景にある事象をどのように整理しているのかも参考にしよう。そういう趣旨でこの二回分を投稿しています。専門家の先生のお話の一部だけを取り上げて自分の立論に都合の良い解釈をしよう、押しつけようということではない、ということをまずご理解頂きたいのです。
そこで、「私的複製権」はあるのか?という点ですが、この先生は法律上はない、というお考えの方です。私もやはりそのようなものはない、ということだろうと整理します。
>私的利用目的の複製は利用者の権利と主張する(※引用している記事からそう見られるのは自然)
とのことですが、私は日記本文では単に引用しているだけで自分のコメントは付記していませんので、あまり独り合点で思い込まれるのはどうなんでしょうか?それはともかく、複製権はないということです。
では、前回の法改正においてなぜ「CDリッピングは私的複製と認める」という例の表記があるのか? ということになります。CDリッピングの結果、招来される事象を考えれば、これは個々の著作権を侵害する行為ではないか、なぜ、それが認められるのか?という疑問が浮かびます。そのことによって、
(つづく)
byかもん! at2015-08-03 21:22
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(つづき)
>無断で複製し頒布・販売するなど正真正銘の違法コピーに対し実質無防備になってしまったわけです
全くその通りですね。でも、個人が必ずしもCDPにかけて聞くものでもなくなってきたという社会現象(デジタル技術の進展)が広く蔓延してくると、法律としてはどこかで線引きせざるを得なかったということがあります。米国で深まった理論で、タイム・シフティング、プレイス・シフティングという法理があるそうですが、これは、ソニーがVCRを販売した結果、映画会社から著作権侵害で訴えられ2年間の異例な長期審議の結果、米国最高裁判決によって打ち立てられた法理のようです。
話が戻りますが、でもそれは立法的には「個人使用であれば複製することができ、侵害には当たらない」としているだけで、「私的複製権」自体を創設したわけではないということです。
では、CDを友だちに貸す行為はどうなのか? 友だちから借りたCDをCDPにかけて聞く行為はどうなのか? ついでに今後のことを考えてリッピングする行為はどうなのか? 図書館からCDを借りる行為はどうなのか? それをリッピングするのはどうか? それを友だちに二時間ほど貸す行為はどうなのか? まあ、考えればいろいろな事象があって一筋縄で決めるのは難しそうですね。
>メディアが何であれデジタルコンテンツならば、同じ問題を抱えていることは自明ですね。
その通りですね。そうであれば、一私人にすぎない私に、
>違法コピーの問題を(法的に)どのように解決するのか対案を示すべきだ
と言われるのは、それはかなりの論理の飛躍でしょうし、対案をしめすほどの力量などないです。デジタルコンテンツがこのような状況にあるときにどうしたらよいのかをそれぞれがそれぞれの立場でよく考えていきましょう、そのためには広く判断材料を集めることが大事です、としか言いようがないものです。
それくらいに難しい問題なので、「あれかこれか」「白か黒か」の単純な二分論で仕切れるような性質のものではないのだということをまずご理解頂きたい、ということです。
byかもん! at2015-08-03 21:25
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ぽんち さん、どうもです。
端的にはそれが大きいんでしょうね。自分にとって何よりも大事で、身近な情報が簡単に取れる。それが友だちとの遊びの材料にもなる。友だちもつながる。これを支えているのがデジタル技術でしょうし、興味対象の拡散、アクセスの容易性ということなんでしょう。この構図はもう変ることはないでしょうね。
こんな話は昔話ですが、学校で級友たちと話を合わせるためには前日夜のドラマの進行がどうだったかをきちんと頭に入れておかなければならないというのが、1960年代の若者には必須のテーゼでした。そうでないとみんなの話についていけない、ついていけなければ相手にしてもらえない、クラスで孤立する、というパターンです。それだけ興味の対象が限定されていたわけですね。
いまは、興味の対象が多様化しているので、より面白いものに向かいますが、その観点からみると上記引用元がおっしゃるようにどれもつまんないですね。
byかもん! at2015-08-03 21:34
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かもんさん、ご丁寧なレスありがとうございました。
デジタルコンテンツに対するDRMについて、現行の著作権法では引用で提起された課題があることは理解しますが、著作権の侵害によりアーティストを含めた著作権所有者が音楽活動の継続すら困難になるようでは本末転倒ですし、質の高い音楽資産が豊かになるのはこのコミュニティー参加者共通の願いだと思います。
私的複製の範囲についてですが、私個人としては対価を払ってコンテンツを購入するのと同様の状況を無料で生み出す行為は全て私的利用の範囲外と判断できると思います。
これに従うと
>友だちから借りたCDをCDPにかけて聞く行為
聞くだけならOK、貸出期間中はCDを常に聞ける機会が一時的に
自分に移動しただけと考える
>借りたCDをリッピング
購入したのと同じ結果なのに対価を払っていないのでNG
>図書館からCDを借りる行為
聞くだけならOK
>図書館から借りたCDをリッピング
購入したのと同じ結果なのに対価を払っていないのでNG
>それを友だちに二時間ほど貸す行為はどうなのか?
図書館では普通又貸しは禁止されていると思いますが
著作権の観点からはリッピングしない限りOK
SACDやDVDに関しても本来は私的利用の範囲であればコピー可能であることが望ましかったとは思いますが、技術的保護手段のないCDが陥った状況とどんな技術的な保護手段もいずれ破られるのが常と考えれば現状やむなしではないでしょうか。(ハードがある程度普及してしまった現在、世代・回数限定コピーなどを可能にするためのフォーマット変更は困難)
というわけで、特にオーディオ分野に関して言えばSACDに記録されたDSDデータのメモリー再生はもはや期待できず、その役割はハイレゾデータの配信が担っていくものと思っています。
そのためには現状SACDでしか入手できないコンテンツのデータ配信化が進めばいいと思いますし、どうしてもSACDでしか入手できないコンテンツについては多少の不便さと音質の不満には目をつぶって、音楽文化に対するパトロンの気持ちで些少ながらできる範囲で投資したいと思います。
byオーディオ侍 at2015-08-04 01:02
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オーディオ侍さん、再レスですね。
本来の私の意図は上記の通り単純二分論ではなくもっとよく著作権法にまつわるさまざまな事実と多角的な観点から広い視野に立って問題を考えていきましょう、という提案が主であって、「SACDリッピング違法論」の根拠究明を再燃するつもりは毛頭ないのです。
ケーススタディにおいて明示されたお考えはよく理解しますが、ものの割り切り方次第では、他人の著作権がついた著作物を閲覧するには正規の対価を払いなさいというのが本来の考え方で、それが著作権者を保護することになるのですから、本を他人に貸す行為は著作権法違反だという法律的取り決め方もありうるので、CDを他人に貸す行為、他人から借りたCDをCDPで再生して聴く行為も著作権法違反だというのが本来的なあり方ですが、あなたもそれはOKだとお認めなさるわけです。それだって議論の余地があるのですが、実際にはそれが取締まれないことから、もはや違法だといっても実際的ではないということですね。図書館が貸し出すのは全く別の考え方に基づくものですからここで論じる意味はあまりないです。
そういう自分のテリトリーを出たもの、出したものは違法だが、そこまでは取り締まれない現実がある。一方で、自分のテリトリー内のものであるなら、所定の対価を著作権者に支払って獲得した著作物をタイム・シフティング、プレイス・シフティングしてもいいじゃあないか、という考え方が米国で一般的になり、現実問題、CDリッピングは違法だと言ったところでもはや取り締まり不能の状況が世界的に定着してしまっている。その事実を踏まえると、「私的複製」の範囲内と認めざるを得ないが、では、なぜこの法改正のタイミングでそのことをわざわざ明言したのかが、法律解釈のうえでは大きなポイントではないか、ということですね。
(つづく)
byかもん! at2015-08-04 01:33
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(つづき)
それから、ハイブリッド盤においてCD部分のリッピングを許容しているということはその限りで著作権者の権利を侵害しないことになっているのですが、PCMとDSD(だかなんだか)というデジタルファイル形式の違いがあることで守られる著作者の権利とは一体何ぞや? ということを考えると、法律解釈論としては、「SACDリッピングは違法」だとは言えなくなってくるのではないか、だから文化庁が明記している「CD」には「CCCD」は入らないが「SACD」は入るという解釈も成り立つのではないかということも申し上げてきています。
それではアーティストの権利をどう守るか? 音楽文化に対するパトロンの気持ちはどこへ行ったか? と糾弾するお気持ちは分かりますが、私は、個人的リッピングが即刻、「海賊版」の流布に直結とは思いませんので、そのあたりのとらえ方は、業界側に身をおくか、私のような一ユーザーであるかによって見解が分かれると思います。
ただ、ご案内のとおり、我々オーディオ・ファイルはSACDのSACDPでの再生によって極上の音質が得られているとは必ずしも思っていません。それはSACDの売れ行き動向とCDのそれとを比較分析しておられる業界の方も内心では十分にお分かりのことと思います。
(つづく)
byかもん! at2015-08-04 01:35
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(つづき)
ですから、頑なにプラスチック盤に閉じ込めるのではなく、既に購入した顧客(正規の対価を支払った顧客)にファイル再生という機会を提供することが、SACDマーケットを更にどん底に突き落とすとばかり考えるよりも、むしろ、SACDP再生では得られないがファイル再生なら想定外の高音質で音楽に浸れるような新たな機会の提供になり、新たなニーズの掘り起こしにつながる、それがSACDの売れ行き回復に現われ、アーティストも潤すという見方もあり得ますので、この際、この点についてもじっくり検討されるべき時期が到来しているのではないか、と思う次第です。
いやいや滅相もないこと、そんなことをしたらSACDのDSD(だかなんだか)音質の悪さが一気に露呈してしまうなどということを、ひょっとして恐れていらっしゃるのなら、「リッピング開放は海賊版を徒に拡散しアーティストの首を絞める」というお経を上げつつけるしかないのかもしれません。
これ以上は水掛け論になりますので、あなたからのレスは受取り拒否にします。ご了承ください。
byかもん! at2015-08-04 01:36
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SACDのリッピングは、パブリックドメインになったものなら
、著作権法は関係なくなりますので、できます。"SACD化"自体
に著作権が認められるはずは無く、著作権や
著作隣接権が消滅していますから、これらの法律には拘束
されません。なお、CDについてわけのわからない事を述べ
ておられる方がいるようですが、著作権や著作隣接権が
ある場合、私的複製の範囲は下記に詳しく述べられており
、例えばクラスメイトにCDを貸して、そのCDをクラスメイト
自身がコピーするのは「クラスメイトが自分用にCDを私的
複製する」ので合法です--となっています。
http://chosakuken-kouza.com/kihon/hukuseiken.html
著作権法はザル法であり、最終的には判例で決まることですが
、私的録画補償金訴訟で東芝がSARVHに勝訴し、その後SARVHが
消滅した事でもわかるように、公序良俗に違反する法律は結局
は判例で無効となります。一般的なSACDのリッピングもそのよう
になり、可能になると思います。
byst at2015-09-25 14:31
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