パグ太郎
パグ太郎
クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
パグ太郎の部屋
持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

レビュー/コメント

レビュー/コメントはありません

カレンダー

            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最新のレス

日記
製品レビュー/コメント

製品レビュー/コメントへのレスはありません

お気に入り製品

お気に入り製品はありません

日記

時代を超えた二つの火遊び、あるいは新技術による再編集の功罪について

このエントリーをはてなブックマークに追加
2017年07月18日

大学受験の浪人生だった1年間、毎日、朝から晩までヘッドフォンでこのLP3枚組みの曲を繰り返し聴き続けました。(モーツアルト「フィガロの結婚」カラヤン・ウィーンフィル)
何故、そんなことをしたのか、今となっては記憶の彼方ですが、賑やかで明るく滑稽、時々メランコリックというこの作品のお陰で、1年を乗り越えたという思いだけは残っています。

特に2幕・4幕のフィナーレを余りに繰り返し聴きすぎたせいで、モーツァルトの作品を聴くと、交響曲だろうが協奏曲だろうが、声楽のアンサンブルに分解されて聞こえるという困った症状にしばらく悩まされたくらいでした。その後、映画「アマデウス」で、皇帝にモーツァルトが2幕のフィナーレの構想を興奮して前後の見境無く、「2重奏に1人加わり、更に1人、また1人、、、最後に8重奏になって、歌だけで20分も続けられるのはオペラだけ」とまくし立てるのを見て、このオペラの最大の魅力が其処にあると感じていた私は、わが意を得たりと思った次第です。
この作品の印象的な使い方をしていたもう一つの映画が、「ショーシャンクの空」。囚人の主人公が放送室に立てこもり、脱獄がおきたら警報を響き渡らせる役割のサイレンを通じて、「そよ風によせて」のデュエットを流すシーン。相棒役のモーガン フリードマンのこの台詞も忘れられないですよね。

俺はこれが何の歌か知らない
知らない方がいいことだってある
よほど美しい内容の歌なんだろう...心が震えるぐらいの
この豊かな歌声が我々の頭上に優しく響き渡った
美しい鳥が訪れて塀を消すかのようだった
短い間だが皆が自由な気分を味わった

因みに、映画に使われたのは、ベームのこの盤。

その後、色々な演奏を聴きましたが、近年びっくりしたのが、クレンティス指揮のこれ。この演奏の特徴、いや言葉を選ぶのは止めましょう、この演奏の変な所を体験するとしたら、4幕の最終曲、火遊びの動かぬ証拠をつかまれた伯爵が伯爵夫人に許しを求めるシーン。通常の演出・演奏であれば、浮気者の伯爵は全く懲りてはおらず、表面的に謝っているが振り向けば舌を出してまた違う女に手を出すというキャラクターで、表現もおどけて大袈裟に謝って見せているという歌い方をしますし、伯爵夫人もそれがわかっていて、お灸をすえる程度で許しを与えて、めでたしめでたしとしているのですが、このCDは全然違う。伯爵はキャラクターを変じて心から罪を悔い伴侶に許しを求めていますし、伯爵夫人は全人類に免罪を与える神のような厳かな歌いぶりなのです。こんな真剣な喜歌劇があるか!と言うのが正常な反応かと。

ただ、モーツァルトの書いた曲だけを前後の文脈を無視して虚心に聴いてみると、その美しく厳かな旋律は、まさしく贖罪と許しの宗教曲の一節と言ってもおかしくない。翻って彼の他のオペラを見てみると、登場人物の統一的造形という様な近現代的演劇手法とは無関係に、筋書きの上で泣いていればとことん悲しく、笑っていればあくまで楽しくという造りをしていることが多いとも思えます。善悪が劇の途中で大逆転してしまう混乱の極みのような魔笛でも、夜の女王のアリアは、娘を失った母の気持ちに忠実な音楽であって、演出で悪役の要素を無理やり入れ込むのは、現代人の居心地の悪さを何とか解消しようという苦肉の策なのかもしれないとも思えます。理屈はさておき、耳になじんだスタイルではありませんが、美しい演奏であることには違いがありません。

さて、フィガロと言えば原作は3部作で、ロッシーニの原作になった「セビーリャの理髪師」で若い伯爵が結婚にまでのこぎつけるまで、第2部がフィガロの結婚であれだけ大騒ぎして結婚した伯爵の火遊びを懲らしめる話、そして第3部は「罪の母」では、伯爵・伯爵夫人双方が不倫の果てにそれぞれ子供をもうけているというお話(であれば「罪の父母」であるはずですが・・・。因みに伯爵夫人のお相手はご想像通りのケルビーノです)。「罪の母」はメジャーなオペラになっていませんが、フィガロの結婚の後継作品を狙ったのがR.シュトラウスの「薔薇の騎士」。ケルビーノがオクタビアン、伯爵夫人が元帥夫人に置き換わったと見るのが自然で、原作者と作曲家の往復書簡にもはっきり書いてあるようです。ただ、時代は下って20世紀になったばかりのウィーン、人間の無意識という領域を発見したフロイトと同時代に書かれた作品ですから、人間の心理の捉えかたは根本的に異なり、表面的な喜怒哀楽の裏側に隠れる人物の複雑な心理状態の変化を描き出すことが、音楽の目的であるかのようです。先ほど魔笛の例を出しましたが、同じ心変わりであっても、パミーノの変節の動機や心理的葛藤を伺い知ることは全くできず、その無反省な転向ぶりになんとも居心地悪さを感じずにはおれないのに対し、オクタビアンの心変わりの様子は手にとるようにわかりますし、そのためらいと、若さに任せた残酷な思い切りを、我が事のように感じさせることに音楽の力が使われています。

前回、アナログのオリジナルを、SACDの能力に合わせてリマスターしてしまうことの是非について書いてみましたが、この場合、新しい心理描写の道具を手に入れて、フィガロというオリジナルを再編集することで、全く新しい薔薇の騎士という傑作が産み出される事もあるというお話でした。

さて、「薔薇の騎士」で、私が良く聴くのはやはり、シュワルツコップの元帥夫人が素晴らしいカラヤンの旧盤です。今シーズンのメトロポリタンではオクタビアンを、お気に入りのメゾソプラノ ガランチャが歌ったらしいので、そちらも気になるところです。でも、今シーズン限りで元帥夫人をレパートリーから外すという、メットの当代の女王フレミングはちょっと声質が趣味と違うのです。現役ソプラノで誰がこの役の最高の歌手で、ガランチャのお相手ができるかという想像は、オーディオの機器の組み合わせ妄想と同じくらい楽しいものです。

次回の日記→

←前回の日記

レス一覧

  1. バグ太郎さん

    カラヤンのこの「薔薇の騎士」はとても思い出があります。これには映像があって、当時、日比谷公会堂で公開されたのです。母が突然面白い映画があるから行こうと言い出して、当時、小学生だった私は何もわからず連れられるままに一緒に映画を見に行きました。

    あの三重唱を終えたシュワルツコップの何とも言えぬ寂寞をたたえた美しい横顔とか最後の洒脱なエンディングとか、今でもその時のモノクロームの映像が不思議なほど鮮明に甦ります。中でもカラヤンがピットの中のオーケストラを縫うようにして颯爽と現れる姿を本当にかっこいいと思ったことを覚えています。

    私たちはどういうわけか、かなり遅刻して日比谷公会堂に到着し第一幕の前半はまったく見られなかったのですが、これはどうも母の教育上の遠慮かあるいは自ら面映ゆいところががあったのではないかと気がついたのは、もうずいぶんと歳をとってからでした。

    byベルウッド at2017-07-18 23:38

  2. ベルウッドさん

    おはようございます。懐かしいですね。ご指摘いただいて色々な記憶が一気に戻ってきました。私は、大学に入りたての頃、建て直す前のヤマハホールで、この映画を見ました。確か、ザルツブルグの祝祭大劇場のこけら落とし公演を収録したもので、オケはウィーンフィルですよね。

    小学生で「薔薇の騎士」ですか! 確かに「教育的配慮」をしたくなる内容ですよね。序曲が何を描写しているかの知識を仕入れてきて、得意になって彼女に教えたらドン引きされたのも、ついでに思い出してしまいました。

    byパグ太郎 at2017-07-19 06:28

レスを書く

レスを書くにはログインする必要があります
ログインする