パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

『青ひげ公の城』にみる三様の男女関係、あるいは脳内演出家の夢

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2017年10月19日

先月、ケルテス指揮のベートーベンやモーツアルト、ハイドンが素晴らしかったという日記を書きました。その最後に、『青ひげ公の城』も聴いてみたけれど、それについては、宿題ということにしていました。本日は、その続きとなります。

オペラというと長くて大変、話も荒唐無稽で現代人にはついていけないというイメージが強いです。が、バルトーク作曲の『青ひげ公の城』はLP1枚に収まる短さで、登場する歌手もソプラノとバリトンの二人だけというシンプルなものです。原作者のバラージュは20世紀前半に活躍したハンガリー人の作家・映画理論家で、エイゼンシュタインに影響を与えた著作を書いたり、ブレヒトの劇作の映画脚本を手がけたりしたような人です。そういう意味で、劇作品としても現代人の鑑賞にも堪えられる心理劇になっているというのが、もう一つの特徴となっております。それを同国人のバルトークがオペラ化して、ブタペストでの初演が1918年ですので、来年100周年ですね。

「青ひげ」といえば、グリムやペローの童話集でも有名な連続猟奇殺人魔で、手に掛けた何人もの前妻を小部屋に隠しています。そこだけは開けるなと言い置いて旅に出た夫の言いつけを守らず、好奇心に負けた新妻が命を失いかけるというお話です。この話をバラージュは、駆け落ちのようにして許婚の元からさらってきた女と青髭公が対面する心理的葛藤の劇に仕立直しています。

真っ暗で冷たく湿った青髭公の城は、男の心の闇を象徴するものとして描かれています。そこに登場する男女二人は、闇の底に隠された秘密を巡る心理戦を、城の7つの扉を一つづつ開けていく過程で繰り広げます。少し、しつこいですが、出来るだけ簡単に内容を紹介します。
(登場人物二人、何も無い空間に、7つの扉があれば成立する舞台)

城にたどり着いた冒頭シーンで、男は「今からでも戻れる、それでも来るか」と突き放し、女は「全てを捨てて付いていく。暗くて湿って冷たい城(=かわいそうなあなた)を私が暖め、開放してあげます」と応えます。

最初の3つの扉を開けるまでは、男は「お前は何が有るかを知らない」と女を止めるような警告とも、秘密があることを匂わせる誘いとも取れる働きかけをします。女は男の残忍さに不安を覚えながらも、次第に、その権力・財力に心を奪われていきます。

次の2つの扉に来ると、男は「そこにあるものはお前のためにあるものだ」と更に扉を開けることを促します。そして秘密について問うことは許さないと言いながらも、他の女の存在を示唆するようなことを口にします。女は、不安を感じつつも、過去の女について好奇心を押さえることが出来なくなってきます。
(鍵が男女の葛藤の象徴)

扉を二つ残して男は態度を変えます。「お前のお陰で輝きを取り戻した城で愛し合おう。残る二つの扉はそのままに」と。しかし、ここまで来ては女は我慢できません。6つ目の扉には男の過去の明確な痕跡が残されていました。それを見た女は思わず、心の奥に抑えていた疑いをはっきりと口にし、過去の女に対する自分の不安・嫉妬・興味をあからさまにしてしまいます。それが鍵となって、最後の秘密が解き放たれ、女の運命と男の心の闇の深さがさらけ出されることになります。

この脚本は、やはり現代の劇作品らしく、多様な解釈を成り立たせる構造になっています。男は最初からコレクションに加えるために、巧妙に振舞い、純粋な乙女を「わな」に嵌めたのか、あるいは、二人は愛を求めて輝く城を一瞬実現したが、好奇心、嫉妬心、そして過去を覆い隠そうとする人間不信により、そろって闇に取り込まれてしまったのか。そのどちらでも無く、「あなたを闇から解放する」と言った女の愛は表面的なもので、力・財・美への欲望と恐怖心、嫉妬心、好奇心に囚われている女は、青ひげからの仕掛けはなくとも自ら破滅を招いたのではないか。その場合、青髭は一人の男というよりも、人間の弱さを明らかにしてしまう絶対的な審判者のような存在として表現することもできるかもしれません。このように思いつくだけでも3通りの解釈が出てきます。

これを舞台で演ずる時、その解釈によって、登場人物の台詞一つ一つの意味が大きく変ってきます。最たるものは、青ひげの「2つの扉は閉じたまま閉めておくが良い、城を音楽で包もう、口付けしておくれ、さあ、お前を待っているのだ、お前は城を輝かせた」という歌詞をどのように歌うべきかが変ってきます。最初の解釈では、わなに嵌めるための巧妙な偽り、二つ目の解釈では、本心からの恋心とそこに潜む人間不信の悲しい性、三つ目の解釈では、絶対的存在から人間へ与えられた最後の警告とラストチャンスとなるのでしょうか。

バルトークの音楽は、難解な現代音楽ではなく、まるで映画音楽のように台本を忠実に再現しており、演奏により多様な解釈を受け入れられるようになっています。それほど人気のある曲とは思えないのですが、フリッチャイ、ショルティ、ケルテス、ドラティというハンガリーの指揮者以外にも、ゲルギエフ・小沢・ハイティンク・ブーレーズ・サバリッシュなどの録音があります。それぞれ、どの解釈を取っていて、歌い手がこの緊張感のあるやり取りをどのように表現しているのか、そういう観点でも楽しめるのが、この作品の面白い所です。

男声・女声・オーケストラの3つのレベルが高い水準で揃っているのは、この一枚。(フリッチャイ指揮ベルリン放送響)
先ず、フィッシャー=ディースカウ(FD)の青髭は、その力と心の闇の深さを表現しつつも、同時にユーディットに対する複雑な愛情を表現しきっており、息を呑む思いがします。その歌唱は邪悪なものという事を一切感じさせません。相手役のテッパーの深い声色と抑制の効いた表現でFDに劣らぬ素晴らしさです。そしてフリッチャイ/ベルリン放送響は、二人の心理劇の背景をなす、暗い城と7つの扉の情景を見事に表現しています。また58年録音とは思えない良い録音で、30代前半のFDの若々しく張りのある声を堪能できます。この二人の関係は対等で、最後の2つの扉を開けることを止めようとする、FDの人間的苦悩は本物と感じさせるという点で、2番目の解釈による演出かと思います。

一方、ユーディットの可憐さ、人間的弱さとその悲劇に焦点を当て、彼女を破滅に向かわせる、邪悪な城、そこに棲むサイコパス的な知力と暴力と人間の理解を超えた異常性を有する存在としての青ひげを描いている録音、それがケルテス版でした。ルードビッヒの演ずるユーディットは、可憐で美しく、決して青髭と対等に渡り合えるとは思えませんし、何処までが愛情で、何処からが好奇心なのか、途中からわからなくなり混乱している人間の弱さも垣間見えます。一方でベリーの青ひげ、ケルテス/ロンドンシンフォニーの演奏は、おどろおどろした不可解な闇の奥に潜むものの怖さ、おぞましさが、寒々と伝わってきます。先の日記で違和感を感じたのは、二人のやり取りにフリッチャイ版と同様の人間的関係を想定していたからであって、目指す世界が違っていたということでしょうか。

さて、残った3番目の解釈に基づく録音はあるのでしょうか。ユーディットには強すぎないルードビッヒのような可憐さが望ましく、青ひげ・オーケストラには、人間を超越した様な冷たい畏怖を感じさせるものの、決して禍々しさを見せない、そういう演奏が必要です。そういう意味で、このCDはオッターの翳りのある冷たい歌声はユーディットには、ぴったりですが、オーケストラと青ひげ役が彼女に合わせたかのように真面目すぎるし(ハイティンク版)、青ひげを打ち負かしそうなノーマンは名演(ブーレーズ新盤)ではありますが、ここでは真逆。ドラティ、ゲルギエフ、ショルティ・・・。この三題噺も最後の最後で該当作無しということで、引き続き宿題となってしまいました。自分の好みで、歌手とオケを組み合わせて演出してみたいものですって、殆ど病気ですね。

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  1. パグ太郎さん

    確かにこのオペラは、時代も場所も特定されず前後の経緯も不明、事件性も劇的な起伏にも乏しい極めて象徴性の高い神秘劇なので多義的な解釈が可能ですね。「青ひげ」とユディットの間の心理的な対立と葛藤もあいまいなところは、リブレットを書いたバラージュが強い影響を受けたというメーテルリンクの「ペレアスとメリザンデ」に似ていてさらに解釈の余地を拡げています。

    長い間、インバル盤でなじんできましたが、実演(演奏会形式)を聴いたのは比較的最近のことで、CDでは決して得られないスケール感もあいまって改めて衝撃を受けました。そこで強く印象づけられたのは、二人の男女の心理の間にある深い溝のようなものと、アーチ型のシンメトリカルな構造でした。
    http://community.phileweb.com/mypage/entry/2408/20111214/27285/

    バルトークの対称性へのこだわりは「オケコン」など後期作品に頻出しますが、そこに深い含意を持たせています。この音楽全体は壮大なアーチ型の構造をしていて、その中央の最大のクライマックスでは、パンダの金管6本が参加しパイプオルガンがホール中に鳴り渡り素晴らしい迫力。その調性は、宇宙の調和を象徴するハ長調。「青ひげ」とユディットの愛の心理が同調する一瞬です。

    byベルウッド at2017-10-21 21:21

  2. この音楽は、実は、嬰ヘ短調から始まり、嬰ヘ短調で終わります。F#というのはC音とC音の間の12音の中心。つまり調和のハ長調とは最も遠い調性から始まり、第1の扉(拷問室):嬰イ調、第2(武器庫):嬰ニ調、第3(宝物庫):ニ長調、第4(庭園):変ホ長調へと変調を続けてゆき第5の扉で調和のハ長調に達するのです。

    そして第6の扉(涙の湖)で一転してイ短調へと再び乖離し始めて、第7の扉(三人の前妻)で元の嬰ヘ短調に戻って終わります。

    ユディットは、親を捨て家族を捨て友人も国も捨てて、「青ひげ」の心理の奥に秘められた深淵に飛び込み心を開かせて愛を成就させようとする強い女性です。躊躇していた「青ひげ」も次第に心の重い扉を開けていきます。けれども、その愛の成就の瞬間がユディットの疑心と嫉妬の暗部の扉を開いてしまい、脆くも愛は崩壊していき再び二人の心理の溝が口を開けて広がっていきます。

    輝かんばかりの強い意志を見せ、愛とは唯一無二のものとの確固たる信念があったのに、それが瞬く間に崩れ落ち、ユディットは他の三人と同じ《女》のひとりとして色あせていく。そのことを詠嘆し諦観の淵に沈む「青ひげ」の心中の虚無に行き場のないほどの絶望を感じて心打たれます。

    ドラマや演技というものを廃した、高度な心理象徴劇というのが私の共感を呼ぶ演奏です。過度な演技や力演的なもの、おどろおどろしい暗黒劇のようなものはやや古くさく感じてしまいます。私にとってはいまだにインバル盤がそういうメーテルリンク的な演奏として愛聴盤のトップであって、そういう理解と解釈に明確に立ってはいるものの理が勝ちすぎてやや土俗的な情感に欠けるブーレーズとノーマンの新盤が次点というところでしょうか。

    byベルウッド at2017-10-21 21:28

  3. ベルウッドさん

    「青ひげ公の城」には5つ目の扉を頂点とした大転換が色々な形で現れていますね。ご指摘の調性もそうですし、音量としてもクレッシェンドからデクレッシェンドに切り替わりますし、二人の台詞の量もここを境に入れ替わります。

    この分水嶺の解釈が、このドラマの多義性を生み出しており、演奏もどの解釈に依拠したものかを踏まえて聴いてみると、演奏の評価についても違った光を当てることが出来るのではないかと思った次第です。原作者バラーシュにも強い影響を及ぼした「ペレアスとメリザンド」そのものも、多義性の強い作品ですので、オペラに限らず、多くの演出家にとって、一度は手がけてみたと思わせる劇作品のようですね。

    byパグ太郎 at2017-10-22 20:44

  4. かつて試しに聴いてみてあっさりと挫折したオペラですが(当時はバルトークの音楽自体にも慣れていなかったのも大きかった・・・)、こちらの記事とコメントを読んで、また興味が湧いてきました。
    再チャレンジしてみたいと思います。
    良い記事をありがとうございます。

    by眠り猫 at2017-10-23 17:51

  5. 眠り猫さん

    嬉しいレス、有難うございます。

    >また興味が湧いてきました

    そう言っていただけると、自分の妄想を放言した甲斐があったと、単純に喜んでいます。

    byパグ太郎 at2017-10-24 00:19

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