パグ太郎
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クラシック中心に聴いています。オーディオは手段と考えてはいるものの、気がつくと手段の魔力に取り付かれてしまうことも多く、日々修行をしております。

マイルーム

パグ太郎の部屋
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持ち家(戸建) / リビング兼用 / その他 / 16畳~ / 防音あり / スクリーンなし / ~2ch
Phileweb登録後1年、気が付くとスピーカー導入していました(2018/6)。所有製品はHRS130ですが、製品DBに登録がないので、一番近いもので代替しています。 10数年愛用したアン…
所有製品
  • スピーカーシステム
    GERMAN PHYSIKS HRS120 Carbon
  • プリメインアンプ
    OCTAVE V110SE
  • ハードラック
    QUADRASPIRE QAVM
  • RCA/BNCオーディオケーブル
    KIMBER KABLE KS-1020
  • 電源ケーブル

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日記

ポゴレリチとの再会。あるいは、長い再構築の道程の末に見えるもは?

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2017年10月25日

ポゴレリチについての以前の日記で、彼の演奏が自分にとって特別な存在だったこと、その後、長期のブランクを経て復活したが、その演奏は自分にとっては良く判らないものに変貌してしまったということ、そして、それでも諦めずにもう一度聴いてみようかという思いがあることを書いてみました。

偶々、時間がぽっかり空いたので、10年毎の定期改装を先月終えたばかりのサントリーホールに、もう一度、彼の演奏を聴きに参りました。こちらのホールも昔は良く通っていたのですが、本当に久しぶりです。

早めに会場に入り、彼の演奏会前のルーチンである試し弾き(?)の音を聴きながら、開演を待つ間、プログラムを眺めます。クレメンティ、ハイドンから始まり、ベートーベンの熱情、ショパンのバラード3番、リストの超絶技巧練習曲から3曲、最後にラベルのラ・ヴァルスと、18世紀末から1920年までのピアノ音楽史を辿り、更に国も5カ国(?)を跨る構成。これまでの経験で言えば、これらの作品を素材に彼独自の精巧かつ微細な世界を作り上げて行く事になることは予想できるものの、それを自分が受け止められるかどうか興味深くもあり、合わないとなると胃にもたれそうなフルコースになるかもという虞もあり、思わず開演前から身構えてしまう自分がいます。いかん、いかん、意識し過ぎです。

冒頭のクレメンティ。一つ一つの音の粒立ちの精妙さに拘り抜いたポゴレリチならではの演奏を想定したのですが、一音目から予想外の展開。前面に出てくるのが和音で、個々の音の粒立ちよりも響きが優先されています。ただ、その響きの中から時折、立ち現れる旋律音はこれまでも増して磨きがかかった絶妙の美しさです。これは、開演前の試し弾きで、和音と単音を繰り返し積み重ねていた、あの不可解ではありながらも、引き込まれるような行為で、彼が目指していたものそのものが、演奏の形をとって現れてきているような気がしました。

それに続くピアノ音楽史を巡る諸国ツアーは、時代・国によって作風の差はあるものの、全て、時には壮大な、時には繊細な和音の響きと、その中に散りばめられた音の結晶の輝きを聞かせるというスタイルで進んでいきます(そういう意味で、ハイドンのソナタは若い時の録音とは全く異なる音楽となっていました)。 

当然、曲によりそのスタイルの効果、受ける印象は、異なってきます。ベートーベンは、あの永遠に続くか思える連続的音階の上下運動が持っている意味を新しい視点で照らし出していました。ショパンのバラードやリストは、曲そのものの持っていた様式と彼のスタイルの適合性が高いためか独自性と強烈な印象を残しながらも(終わった瞬間、周囲の席から大きく息をつく気配が感じられるほどの緊張感)、美しく納得感のある演奏となっていました。

一方、ラベルになると、曲自体の構造に更に拍車をかける結果になり、飽和した和音の響きの中に音楽が埋もれてしまって、作品として成立しているのかどうか考えてしまいます。丁度、モネの睡蓮の池の連作の行き着く先は、色と輝きの洪水で対象物が完全に失われてしまったのと同じ様なものでしょうか。これも一つの歴史の終着点といいたかったのかもしれません。

そして、アンコールは2曲、ラフマニノフの「楽興の時」5番、ショパンのノクターン(作品62-2)。いずれも本プログラムと同じスタイルで、響きの中から輝く音の粒が立ち現れては消えるという、静かに心に染み入る名演で、ラベルの響きの過剰、飽和はこの2曲の輝きを際立たせるためにあったのではないかと思うほどです。

ポゴレリッチは、復帰後、大きく変貌しました。その直後に私が聴いた演奏、昨年の演奏会を聴かれたベルウッドさんの記録から受ける印象、そして今回の演奏、どれもそれぞれ全く異なります。それは、彼が未だに、一旦崩れた音楽を再構築する、その途上にあるということを示しているのではないでしょうか。そして、その長い道程において彼は着実に新しいスタイルを構築しつつあり、この日の演奏からは、その目指す姿と、その先への希望が見えてきている、そのように受け止めたいと思います。

2017-10-20@サントリーホール

クレメンティ・ソナチネ ヘ長調 op36-4
ハイドン・ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.XVI:37
ベートーベン・ピアノ・ソナタ 23番 熱情
ショパン バラード3番
リスト 超絶技巧練習曲から 10番、8番(狩り)、5番(鬼火)
ラベル ラ・ヴァルス

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レス一覧

  1. 長期のブランクがあったピアニストとしてはミッシェル・ベロフが私としては身近です。

    彼もやはり復帰後の演奏は前と違っており、聴いて違和感がいまだにありますね。

    アーチストの体調などは演奏に影を落とします。それもまたその人の人生の一部なのではないでしょうか。

    ミッシェル・ベロフのドビュッシー作品集は全部持っています。復帰後のほうだけですけど。

    復帰前の若いころのメシアンの演奏は素晴らしかったです。

    byうつみくん at2017-10-25 08:27

  2. パグ太郎さん

    ポゴレリッチに行かれたのですね。

    ポゴレリッチが復帰後に変貌した、再建途上だとのご感想は私も同感です。

    ポゴレリッチは精神を病んでしまいました。ベロフや、ピリシュ、ペライヤなど身体的な故障による一時的中断とはまるで違って精神的なものでしたから、まさに粉々に砕け散ったのだと思います。

    土器や陶磁器など、遺跡や廃墟後などで発見された破片からつなぎ合わせて復元された埴輪や茶碗などがあります。みつからない部分は粘土でつなぎ合わされている。その失われた部分の素焼き部分の鈍さと、いまだにその素晴らしさを彷彿とさせる現存のパーツの輝かしさとの対比が痛々しい。

    私の聴いたポゴレリッチには、まさにそういう復元の名器の痛々しさなんだと改めて思いました。

    byベルウッド at2017-10-25 15:43

  3. うつみくんさん

    レス有難うございます。ベロフは腕の怪我でしたよね。確か、アバドとアルゲリッチの2度目のラベルのピアノ協奏曲の録音時に、アルゲリッチから、左手のための協奏曲のソリストはベロフにしてという意見があって、ソリストが2人のなったという話があったのを覚えています。

    >それもまたその人の人生の一部なのではないでしょうか

    はい、その通りだと思います。ポゴレリチを取上げた以前の日記にも書きましたが、以前の彼の演奏に、プライベート事情を勝手に投影していたものですから、中々、割り切ることができずにいます。が、それもまた人生なのかもしれません。

    でも、彼は新たな道をゆっくりとではありますが、着実に歩みつつあると今回は思えました。

    byパグ太郎 at2017-10-25 20:14

  4. ああ、そのCD持っていますよ。

    クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団
    ラベル ピアノコンチェルト
    1曲目がマルタ・アルゲリッチ
    2曲目がミッシェルベロフになっています。

    なんでソリストが交代で演奏しているのか、今まで謎でしたがアルゲリッチが頼んだんですね。

    ドイツ盤だったのでライナーが読めなかったので長らく謎でした。
    交友関係が分かって面白いですね。

    byうつみくん at2017-10-25 20:34

  5. ベルウッドさん

    レス有難うございます。前の当方日記では再会の可能性を匂わせていただけだったのですが、日記が発端となってベルウッドさんの昨年末のコンサート記録が日の目を見ること(?)になり、それを拝見したり、レスのやり取りをさせて頂いている内に、「行こう」と思い立ったという次第です。

    発掘された遺物の、永遠に失われた部分は、その部分は想定であることを明確にするために、わざと充填材を目立つようにしているということを聞いたことがあります。確かに痛々しい。でも、ある部分は本物の輝きを維持しているだけに、その痛み・喪失感が際立つ。この喩え、絶妙ですね。参りました!

    開演前の試弾きも、復帰直後は単音だけだったのが、次第に和音になり、最近では和音と旋律の断片になってきているらしく、先日も、アンコールを聞いたときには、あの開演前の断片から作品までが、連続線上に見えたような気がしました。一方で作品によっては破綻している様に感じられることもあり、まだまだ「途上」という言葉を使わざるを得ないと思いました。

    でも、お陰様で、諦めずに良かったと思える体験が出来ましたし、このまま行けば、ブレーク前とは全く違った形で、成熟を迎えられるかもしれないという期待も持つことも出来ました。本当に有難うございました。

    byパグ太郎 at2017-10-25 20:44

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