日記
カーゾンのピアノを頼りにたどり着いたシューベルトの『鱒』、あるいは世界の変貌を思い起こさせる旧時代の遺産について
2020年03月21日
世間が騒がしく、それが身辺にも色々と波及してきている時節柄、往年の名ピアニスト クリフォード カーゾンのモーツァルトでも聴いて、少し落ち着いてみようか、そうすれば「その音楽だけあれば何も要らず、思い煩うこともない」という境地に近づけるかもということを少し前、日記にしてみました。書いている端から、「あれも」「これも」と欲張りな性が頭をもたげて「足るを知る」とは程遠い情けない終わり方になったというお粗末でした。
その時、「あれも聴いてみたい、これも聴かなくては」という想いで頭に浮かんでいたのは、カーゾンが演奏するシューベルトのピアノ曲のこれでした。二十一曲もあるシューベルトのピアノ・ソナタですが、彼が録音に残したのは、この最後の21番と17番。そして二組の『四つ即興曲集』(作品90番と142番)と『楽興の時』。

シューベルトのピアノ作品は沢山ありますが、これさえあればシューベルトの魅力を余さず体験できそうだと思ったのです。モーツアルトの時にも感じたことですが、やはり丁寧に表情付けられた音節が、品位をもって流れていきます。そして、歌手がいなくてもカーゾンのシューベルトは歌曲の様に良く歌います。そして、その歌は支えているピアノは、歌曲伴奏の名手かと思えるほどの巧みさ。これで歌曲を聴いた気にもなれる・・・と感じる程です。その一方で、この「そこにない歌に寄り添うピアノ」を聴いていると、カーゾンがシューベルト歌曲の伴奏をしていたらどんなに良かっただろう、その時の歌手は誰が良いだろう・・・クリスタ・ルードビッヒとか良いかな、エリー・アーメリンクも合うかな・・・なんて、また欲張りな妄想が湧いてきます。
声楽伴奏は無い、それなら他にシューベルトでピアノの作品、そう、ヴァイオリンとの二重奏曲の名曲は? なんて「足るを知る」どころか、欲が広がるばかり。という中で、シューベルトの超有名曲のピアノ五重奏曲『ます』があったということに気が付きました。この録音、カーゾンと組んだ弦楽合奏が豪華なこと。収録当時(1957年)のウィーンフィル(VPO)のコンサートマスターだったボスコフスキーが率いるVPOのトップメンバーの優雅で軽やかな弦楽アンサンブルに先ず耳を奪わてしまいます。ウィーン生まれのシューベルトの歌い方を堅物のイギリス紳士に教えてやろうじゃないかと言うくらいの勢いかもしれません。それを受けて真面目に対応しているカーゾンとの微妙なせめぎ合いも、それはそれで聞きものですが。
(まるでウィーンの宮廷舞踏会?というジャケット。そう、ボスコフスキーがニューイヤーコンサートの弾き振りをして、一大観光イベントにしたのが、この録音前後です)
こういう優美で華やいだ、ノーブルなシューベルトも楽しいのですが、これだけですとザッハトルテばかり食べているようで・・・・。もう少し抑制の効いた、あるいは地に足の着いた演奏が恋しくなります。そういう時に手にするのが、ゲバントハウス弦楽四重奏団(GSQ)のメンバーにペーター・レーゼルのピアノという組み合わせのこれ。
1809年創設で世界最古の弦楽四重奏団といわれるGSQですが、この録音が行われた1985年は、あのカール・ズスケが第一ヴァイオリンを務めて多くの名録音を残していた一つの黄金期。録音レーベルは旧東ドイツのエテルナ。弦楽器はライプチヒ、ピアニストはドレスデン出身ですから、全てが当時の言葉で言えば「壁の向こうの国」の取り合わせ。
旧東独の演奏、特にドレスデン国立歌劇場管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ベルリン国立歌劇場管弦楽団に代表されるオーケストラは、華やかさや、機動力を誇るよりも、柔らかく包み込む重厚な響きとか、飾り気のない篤実で落ち着いた表現とかの印象が強く、「いぶし銀」などと評されることが多いですが、この演奏にはそれだけでは語りつくせない魅力があります。確かに、弦のアンサンブルもピアノも、しっかりと落ち着いた厚みのある響きで、古い巨木の様な印象を与えてくれる一方で、シューベルト21歳の溌溂とした輝きが、そこかしこに煌めいていて「渋い」とか「枯れた」ものとは程遠い。巨木に新緑が芽生え、柔らかな風と光を受けている、そういうどっしりとした存在感としなやかさが共存する自然の情景が湧いてきます。それがシューベルトの少しの哀愁と少しの甘みを帯びた旋律とバランスしているのが、この演奏の素晴らしい所で、ただただその流れに身を任せることが出来ます。
もう一つ言えることは、ただ身を任せて聴いていられる、この滑らかな肌触りは、やはりエテルナ盤固有の感触だということです。以前にもジェシー ノーマンのR.シュトラウス歌曲集のエテルナ オリジナルのことを記事にしましたが、それに通じるものがあります。東西統一後、「ベルリン・クラッシック」と改名した盤とも違う、そしてエテルナ・レーベルを傘下に持つドイツ・シャルプラッテン社の音源の国内販売元である徳間、キングレコードの盤とも違う、独特の自然な心地よさです。
イギリス紳士のモーツァルトから始まったお話は、ウィーンのシューベルトに飛び、更に冷戦時代の東ドイツの遺産にまで広がってしまいました。「遺産」という言葉を使いましたが、ほんの35年前のことでしかありません。その時代のあれやこれやを想って遺産と言いたくなるのは、今日の世界の様相が当時と全く変わってしまっているからなのかもしれません。という感傷に浸ってしまったのは、そういう時代に生きた若い音楽家達を主人公とするお話を読んだせいかもしれません。そのことは、また次回に。
レス一覧
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今晩は
シューベルトの『ます』は、この季節にぴったりですね。水ぬるむ川面がキラキラ陽光に照らされて輝く感じがします。
レーゼル+GSQを配信で聞いてきましたが、配信で聞く限りでも、いい演奏だな~と思って聞いておりました。エテルナ盤も入手できそうなので、一度聞いてみます。ご紹介ありがとうございました!
続篇も愉しみにしています。
byゲオルグ at2020-03-21 19:19
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ゲオルグさん、今晩は。
レス有難うございました。
そう言えば、ゲオルグさんは、この曲を新春に聴くのにふさわしいと書いておられましたね。今回はあの時、話題にしなかった2つを取り上げてみました。レーゼル版は、そういう季節感に合っていますね。
byパグ太郎 at2020-03-21 21:36
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