日記
例えば一般化した議論に於いてラウドスピーカーに“良い音”を求めた時、それは何を示すのだろうか?
2022年01月10日
ラウドスピーカーに求められる“良い音”とは、言わずもがな良い主観評価を得られる音であろう。
そしてラウドスピーカーに求められる“良い物理特性”もまた、良い音、良い主観評価を得られる特性である。
つまり、物理特性やその評価の基準は、聴く者が覚える感覚その物にあるのだ。
しかし乍ら人間の感覚は生得的に極めて不安定(*)である。
例えば35年程前のある実験では、同じラウドスピーカーを聴いた被験者はグリルの色によって異なる印象を報告した。
赤いグリルは良い低域を、青いグリルはクリアさと広がりを… 感覚を直接的に扱う事の危うさは想像に難くないだろう。
従って、良し悪しを評価するためには、盲検法や統計処理により人間の持つ不安定性を排さなければならない。
そして、得られた物理特性と人間の真の感覚との相関は、感覚を対象とした機器の設計に於ける確かな道標となるのだ。
(*仮に感覚が安定していたら環境の変化に順応出来ないので、感覚の不安定さは生物が“獲得してきた能力”でもある)
しばしば物理特性による評価は人間の持つ感覚を蔑ろにしているかのように言われるが、寧ろ心理音響の評価のプロセスは他の科学と同様に、実現象や感性に最も忠実であろうとする営みである。
他方、ノイズに塗れたサイテッドでの個人の印象を過信するのは非常に危うい行為であり、正しい結論に達するのは極めて困難であると言えよう。
さて、15年程前、米ハーマンの研究所のショーン・オリーブ博士主導の下で行われた大規模な主観評価実験により、主観評価のスコアを予測するモデルが算出されている。
これは16kHzまでの軸上特性の滑らかさと、軸上及び初期反射音、パワーレスポンスから算出する室内応答の滑らかさ、そして低域の伸長の3要素から求める数式で、ダブルブラインドテストによる主観評価と、この主観評価の予測値は実にp≦0.0001の有意性とr=0.86もの相関を持つ。(*)(AES Paper 6190)
テストに使われたラウドスピーカーは、小型から大型まで、ダイポール型や(共振が多く指向性が大きく暴れている)静電型といった特殊な物までもを含む事から、それなりの汎用性を持った指標と言えるだろう。
(*因みに小型のスピーカーに限った以前のモデルでは、0.995もの相関を持つ)
このPreference ratingや、その元となるSPINORAMAプロットは比較的“目新しいもの”として扱われがちであるが、実は歴史を遡ると1985年頃の時点でカナダ国立研究機構(NRC)の研究者により、ラウドスピーカーの主観評価が、フラットな軸上特性と滑らかな指向性が齎す滑らかな室内応答、そして低域の伸長という3要素と強く結び付いている事が示されていた。
研究者の名前はフロイド・トゥール博士、後に後進のオリーブと共にハーマンへと移り、ラウドスピーカーやヘッドホンの評価手法を大きく前進させ、ハーマン傘下に限らず世の製品の改善に貢献した、生けるレジェンドとして知られる。
閑話休題、先述の3要素が極めて重要である事は、然程不思議では無い。
半世紀前のバロンの有名な図(JSV15)にも示されていたように、人が知覚する空間印象が、初期反射音の到来するタイミングと強さ、そしてその到来方向(主に両耳間相関度)により変化する事は以前から知られていた。
ソースに含まれる空間情報を乱さずに知覚するためには、先行音と初期反射音の間に一貫性を齎す滑らかな指向性が求められるのは感覚的にも当然と言えよう。
またソースが必要とする範囲で、十分な帯域が確保されている事も、当然の要求である。
しかし、指向性と再生帯域がラウドスピーカーという放射体単体に求められる性質であったのに対し、ぱっと見では最も自明と思われるフラットな軸上特性には、実は録音・製作環境がフラットであるという前提条件が必要になる。
と言うのも、モニタリング環境とは逆のスペクトルバランスが音源に表出する事をボルハが報告したのは1977年なのだ。
製作環境と再生環境の間に齟齬が生じると、このようにオーディオという業界全体が捻れた構造になってしまうため、製作と再生双方にある程度一貫した環境の基準が要求される。
幸いにして現代ではある程度ニュートラルな製作環境が整っているため、再生側でもフラットな特性が基準*である。
(*但し、低域への要求に関しては個人差が見られる事、加齢性難聴が進行した層がブライトな特性を好むようになると示されている事からも、個々人の再生ではフラットに固執する必要までは無いと考える)
このように、フラットな軸上特性と、滑らかな指向性が齎す滑らかな室内応答、そして低域の伸長という3要素から、嗜好の度合いが定量的に予測出来るようになったのは比較的近年であるが、しかしこれら3要素それぞれの重要性はかなり古くから知られており、現在に至るまで覆されてはいない事がお分かりいただけたであろう。
そしてその3要素は設計に於いて概ね独立であるから、Preference ratingの予測モデルが無くとも目標とする特性は不変な筈である。
従って、良い音、良い特性を標榜するのであれば、これらの3要素(若しくは整った特性の機種を含む広汎なサンプルを対象とした主観評価実験に於ける高い評価)はこの数十年に亘り達成すべきと考えられてきた最低限の“基本性能”、“必要条件”であり、どれが欠けても“良くない”と評価せざるを得ない。
立証されていない様々な“独自理論”を拠り所に良い音、良い特性を標榜する者は多い。
確かに十分な基本性能を与えた上で、設計者の拘りやロマンを注ぎ込むなら結構な事であるが、私の知る限りでは例外無く3要素を十分なレベルでクリアしていない、“良くない”設計である。
そして“独自理論”は往々にして、基本性能に抱える欠陥の言い訳にも使われる。
独自理論とやらが既に立証された基本性能に優先し、しかも基本性能とコンフリクトする事を示しているのであれば大いに傾聴する価値があるが、勿論そんな例は無い。
「型がある人間が型を破れば型破り、型がない人間が型を破れば形無し」とは、子ども電話相談番組での無着成恭氏の言葉だそうである。
せめて“独自理論”を主張する者に、基本性能をクリアした設計を行う能力(型)があれば救いもあろうが、その実ただの能無し(形無し)ばかりなのだ。
彼等は素人目には尤もらしく聞こえる(かも知れない)文句を並べているが、科学的な見地から申し上げれば、何の根拠も示さずにスピーカーが白ければ白い程音が良いと高らかに“宣言”し、出鱈目な特性のスピーカーをただ白く塗りたくるのと何ら変わらぬ愚行に過ぎない。
真に良い何かとは如何なる物であるのか。
我々が本当に求めているのは、“必要条件”では無く“十分条件”である。
その問いを突き詰めた時、その先は自ずと何かと対峙する我々を向く。
我々は如何にして音を“解釈”しているのか?
その途は果てしもない。
この半世紀近くに亘り、先に挙げた3要素は、少なくとも良いラウドスピーカーには欠かせない“必要条件”だった。
しかし明日の科学では覆されているかも知れない。
科学の本質とは、主張が真に正しいか否かでは無い。
正しくあろうとする人の生き様その物である。
だから、実現象や感性に忠実であり続け、そして今も歯を食い縛って愚直に答えを求め続けている者の言葉だけが重みを伴うのだ。
若し皆様の中にも安易に良し悪しを語っている方が居られたなら、それが本当に科学的な姿勢であるのか、今一度自問して頂きたいと願う。
レス一覧
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あけましておめでとうございます !(^^)!
ほんねんも Arcさんのつくる さいきょう の スピーカー の
かんせいを を 首を長くしてお待ちしております!!(^^♪
bynightwish_daisu at2022-01-10 09:15
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Arc Acousticsさん、こんにちは。
このコミュには殆どない傾向の日記で興味深いと思います。
(前回は、B&Wのスピーカーは最低だ!の主張で面喰いましたが)
ご提示の内容で下記は同意です。
・ラウドスピーカーに求められる“良い音”とは、言わずもがな良い主観評価を得られる音であろう
・しかし乍ら人間の感覚は生得的に極めて不安定である・・・これを回避するために主観評価のスコアを予測するモデルが算出された
・主観評価の指標は下記とおかれた
-16kHzまでの軸上特性の滑らかさ
-軸上(直接音)及び初期反射音
-パワーレスポンスから算出する室内応答の滑らかさ
-低域の伸長
腑に落ちにくい内容は下記でした。
・物理特性やその評価の基準は、聴く者が覚える感覚その物にあるのだ
→これは部屋込みの評価が必要なので、スピーカー単体で言い切るのは難しいと感じます
・主観評価のスコアを予測するモデルをスピーカー単体に落とし込んだ結果が下記となること
-フラットな軸上特性
-滑らかな指向性が齎す滑らかな室内応答
-低域の伸長
→理由は、音の振舞が「低音」「中音」「高音」で変わるため
・“独自理論”を主張する者に、基本性能をクリアした設計を行う能力(型)があれば救いもあろうが、その実ただの能無し(形無し)ばかりなのだ
→B&Wがダメな理由は、ユニット毎の滑らかな指向性がないからと言われているのかと思いますが、本当にそれだけでダメスピーカーになるでしょうか?
・製作環境と再生環境の間に齟齬が生じると、このようにオーディオという業界全体が捻れた構造になってしまう
→製作環境は再生環境が未定の中で実施するし、再生は特殊環境の中で実施するので、齟齬が生じるのは「必要悪」かと思います。再生環境に合うソフトと合わないソフトが存在するのも仕方がないことかと思っています。
◇スピーカー設計をやっているわけでもなく、データを用いての音響解析をやっているわけでもないので、データで語ることは出来ませんが、日常で感じていることの書き込みです。
◆後半は思いを語られていると思うので、同意も意見もしませんが、真摯によいスピーカーを作りたいという思いは伝わってきました。
byヒジヤン at2022-01-10 13:33
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> nightwish_daisuさん
おめでとうございます
byArc Acoustics at2022-01-11 17:29
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> ヒジヤンさん
> これは部屋込みの評価が必要なので、スピーカー単体で言い切るのは難しいと感じます
> 理由は、音の振舞が「低音」「中音」「高音」で変わるため
変わりません。
低域は波のように、高域はレーザーのように等と言う者も居ますが、全て波です。
(強いて言うなら、高域の減衰は固有です)
反射面や吸音面といった構成要素の寸法が波長に対し十分に大きい(一般的には第2以上のフレネルゾーンを含む)といった制約条件のクリアを前提に、波動性を無視して幾何的に扱っているだけです。
室内の音を幾何的に扱える領域は、部屋の大きさや吸音率などに大きく左右されますが、空間印象に大きく影響する中高~高域では“概ね”幾何的と見做せます。
これは例えば壁面の1次反射に相当する“エリア”の吸音や拡散により、リスニングエリアで聴取する音の印象が大きく変わる事とも対応しています。
部屋側で出来る事は基本的に反射・拡散・吸音しか無く、加えて初期反射音が乏しいと空間印象も乏しくなるため、軸外特性が悪いからと言って無闇矢鱈と吸音するわけにはいきません。
他方、ラウドスピーカーの挙動は全帯域で極めて波動的ですが、スピーカーを囲むスピーカーに対して十分に大きな空間の境界から出て行く音を測定する事で、ある指向性を持つ放射体として扱えます。
よって、部屋の中高~高域では、
直接音を支配する軸上周波数特性
各1次反射音に影響する特定の方向の放射特性 (レベルが高く、本数が少ない分その角度が限定されるため)
残響音に影響するパワーレスポンス
の音響パワーの加重平均により、良好な予測が可能と考えられます。
byArc Acoustics at2022-01-11 17:34
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ANSI(米国規格協会) CTA/CEA-2034-Aで採用されているPIR(予測室内応答)はそれぞれ12%、44%、44%のウエイトで、多くの一般的なリスニングルームでは、空間平均した実測に対し1kHz~10kHz程度の範囲で+/-2dB程度に収まるようです。
室内の1点での測定を行うと中高域には細かい大量のディップが出ますが、人の聴覚で識別できるバンド幅(ERB)でのスムージングを考慮すると、空間平均と良く一致しているなら十分に有用な予測です。
極端にデッドな部屋では軸上周波数特性が支配的で、極端にライブな部屋ではパワーレスポンスが支配的といったように、部屋によって最もマッチする重み付けは異なりますし、変な特性(例えば中域の一部をごっそり吸うような)を持たせた吸音構造でも使えば、予測から悪い方向へ外す事は簡単です。
しかし、リスニングルームとして適切な環境を考えるのであれば、自ずとこの辺りに収束して行く事になるでしょう。
逆に実際の部屋のfL以下でフラットな特性のラウドスピーカーが暴れるのは、偏に部屋が悪いせいです。
低域の問題は3次元空間で生じているため、1次元に過ぎないラウドスピーカーの特性を弄るのは解決策たり得ません。
TRINNOVだろうがDGだろうがDiracだろうが、駄目な部屋は駄目です。
ですから
スピーカー屋さんは低域に関して、「こっち取り敢えずフラットに出しとくから、部屋は部屋でちゃんとダンプしとけよ!正方形だあ?おどりゃふざけんなゴルァ!」
と、
音響屋さんは中高~高域に関して、「部屋側では乱れた軸外特性が整うように初期反射音を補正する事なんて不可能だから、指向性だけはちゃんと整えとけよな?」
と言っているわけですね。
byArc Acoustics at2022-01-11 17:35
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> B&Wがダメな理由は、ユニット毎の滑らかな指向性がないからと言われているのかと思いますが、本当にそれだけでダメスピーカーになるでしょうか?
800シリーズについて書いた昨年の日記へのコメントかと思いますが、
ユニット毎の滑らかな指向性がないから
では無く、
ユニット毎の指向性は滑らかであるが、それぞれの指向性が全く合わないから
です。
オリジナルノーチラスのように水平だけでも整えてくれていれば良いのですが、あそこまで乱れているとどうにもならんですね。
トーを振ろうが壁面を拡散しようが、直接音に対して一貫した(減衰やチルトと言った単純な関係を持つ)良質な初期反射音を返す事は不可能です。
指向性に関しては、B&Wに限らずと言うか、
・ほんのごく一部の良く出来た同軸
・適切な指向性を持たせるウェイブガイドによる指向性制御
・ユニットのサイズを細かく刻んだ最小バッフル/バッフルレス
・(可能性としては)アレイや大量のドライバのDSP制御
を除くほぼ全てのラウドスピーカーがかなり大きな問題を抱えています。
しかしB&Wの800シリーズは、ツイーターとミッドウーファーのサイズ差が実効で6~7倍と2way並みに大きい上にクロスが高く、おまけにバッフルレスというコンセプトに抱える基本的な欠陥がその問題を大きく助長しています。
今のところウェイブガイドを使うのが最もシンプルでスマートなアプローチでしょうが、ウェイブガイドを使っていれば良いとは限らないところがこれまた何とも。。
有名な話ですが、YGのウェイブガイドだって音響が分かる人が一目見りゃ
「おい、テメエ何だその舐めたプロファイルは?馬鹿か?」
って話ですし(笑)、まあ兎にも角にもどうしようも無く酷い設計が多いですな。
> 製作環境は再生環境が未定の中で実施するし、再生は特殊環境の中で実施するので、齟齬が生じるのは「必要悪」かと思います。
> 再生環境に合うソフトと合わないソフトが存在するのも仕方がないことかと思っています。
製作と再生にそれなりの一貫性を持たせなければそういう混乱に陥る、それを出来るだけ避けなければならないという話をしています。
byArc Acoustics at2022-01-11 17:38
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Arc Acoustics さんへ
はじめまして
>B&Wの800シリーズは、ツイーターとミッドウーファーのサイズ差が実効で6~7倍と2way並みに大きい上にクロスが高く、・・
いやあ、お分かりになる方がほかにも居られたのはうれしいです。
僕もそう思います。B&Wだけは避けていました。位相を合わせるなんてみじんも感じさせませんからね。(笑)
bybb7 at2022-01-12 09:52
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bb7さん
初めまして。
休眠ユーザーでしたもので気付くのが遅れ、コミュニティの終焉を告げる知らせにより気付くという些か皮肉なご挨拶になってしまいました。
大変失礼致しました。
B&Wに関しては現在良いとされているターゲットと相反する設計があまりにも多く、そしてその特性や(私の)聴感にも大きな欠陥を抱えた製品が大半を占めるメーカーですが、何故か高性能とか高忠実度といったイメージを持たれているユーザーが多く、全体的に解釈や疎通が困難な印象を持っています。
StereophileやFacebookのコミュニティなど、示された明らかな問題を指摘する声に対し、筋の通らないカタログの受け売りを並べる信奉者という構図を何度見てきた事か。
彼等に掛けられた呪いを解く唯一の方法は、少しぐらいは物理も学び、ある程度音の挙動を理解する事なのかも知れません。
byArc Acoustics at2022-05-18 12:18
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