日記
ぼくのオーディオこと始め3
2020年10月26日
~ラジオ会館にあった光陽電気のこと2
欲しかったスピーカーのSONY-S11。1日かけた値段調査の結果、一番安くしてくれた光陽電気でお会計をしてもらっていると、発送伝票を手渡されました。
「ここに住所を書いてね。あと送料は本当はもらうんだけどオマケしてあげる」
光陽電気にはめがねのお姉さん(ウソ。おばちゃん)がいて、ぼくの相手をしてくれていました。
ぼく 「いや、今日持って帰りたいんですけど」
おばちゃん 「えー、これ重いわよ。どこまで帰るの? 」
ぼく 「横須賀の方ですが」
おばちゃん 「悪いこと言わないから。送ってあげる」
せっかく気を遣ってくれているのはわかるのですが、ぼくとしてはどうしても持って帰りたい。せっかく手に入れたものを配送されるまで待つというのがイヤだったのです。結局根負けした光陽電気のおばちゃんが他のスタッフに頼んで厳重に梱包のひもかけをして、プラスチックの握りを2つ付けてくれました。
夕暮れ時のかれこれラッシュが始まった山手線~京急を乗り継いでスピーカーワンセットを持ち帰ったのは今でもはっきり憶えています。
以来バイトしてお金を貯めては秋葉原に通い、アンプ、プレーヤー、カセットデッキと買いそろえていきました。スピーカーから1年近く経っていたというのに、2回目に光陽電気に行ったときに、ぼくのことは「スピーカーを持って帰った酔狂な兄ちゃん」として光陽電気の人はみんな憶えてくれていて、なにかにつけよくしてくれました。そんなわけで、ぼくはそれ以降光陽電気以外で新品のオーディオ機器を買ったことはありません。
手に入れたのは、プリメインアンプがONKYO A-817、プレーヤーがTRIO KP7070、カセットデッキがPIONEER CT970。アンプはその後ONKYO A820GTR、スピーカーもCORAL DX-7にグレードアップという道を辿ります。
javascript:add_image('
')
javascript:add_image('
')
たぶん1年に一台ずつくらい買いそろえていったのだと思います。
秋葉原に着くと、まず光陽電気のおばちゃんに挨拶をして、その日買いにきたものを告げます。それから気がすむまで価格調査をして、光陽電気に戻ってその値段をいうと、たいていそれよりも「勉強」してくれます。もちろんかなわないこともありました。
そういうときおばちゃんは「その値段はウチじゃ無理だから、そちらのお店で買いなさい」と、優しく諭してくれました。もちろんこっちにも意気というものがあります。多少の価格差には目をつぶって光陽電気に義理立てをしたのでした。
ちなみに高校生の頃に買ったCORAL DX-7とTRIO KP-7070はいまだ健在です。
ここのところ動かしてないし、鳴らしていないからちょっと不安ではありますが。
現存するオーディオショップなら、今も客と店の関係というのは、こういうものなのかもしれません。しかし、光陽電気がなくなってしまった今となっては、ぼくには二度とこういう関係を結ぶ店は表れないでしょう。
レス一覧
-
おはようございます。私も以前コーラx7を持っていました。良いスピーカーだったと記憶しています。なつかしいですね
byELVIS at2020-10-26 05:47
-
ELVIS様
当時のFM誌でもわりあい評価が高かったんです。
(FM誌のオーディオ機器評はぼくにとって唯一の指標だった)
ただ、何というか低音が出なかったんですよ。
当時から原音派ではなかったぼくにとってなにか物足りない、「鳴らない」スピーカーでした。エッジが固いという見方もあったようです。
by5150 at2020-10-26 09:48
-
いい話ですね!
煌びやかな一日の思い出というのは、何十年経っても忘れないものですよね。つい自分の脳裏にも色々と蘇ってきてしまいました。
色々な70年代のレコードを教えてくれた町のレコード屋のチリチリパーマの店主。
サンバのレコードをレジに持っていったら「君サンバ好きなの?」と、後ろに並んでいる何人ものお客をよそに棚に行って頼んでもいないオススメ盤をあれこれ持ってきて説明してくれた新星堂の頭の薄いお兄さん。
みんな懐かしいな~。
そしてご紹介の機器はそんな中学時代の憧れで、FMレコパルをカタログ代わりに日夜研究してました。
byにら at2020-10-26 21:51
-
にら様
70~80年代はPOPEYEやHotdogといった若者雑誌にもオーディオコンポーネントの広告が百花繚乱で、オーディオは「変人の趣味」ではなく「若者のたしなみ」のひとつでしたよね。
秋葉原はオーディオショップだらけでしたし、街の電気屋さんにもコンポはたいてい置いてありました。レコードショップも華やかだったなぁ。発売日に買うと必ずポスターが付いてきたり…。
今となっては信じられないくらいいい時代でした。
by5150 at2020-10-27 10:29
-
5150さん、はじめまして。こんにちは。
私は5150さんよりも一回りくらい若輩者ですが、80年代中~後半から色々と覚えていった世代なので、レコードにおまけで付いてくるポスターとか、懐かしく読ませて頂きました。
ところで、「5150」の由来はVan Halenなのでしょうか?
今は流石にも少し気を遣いますが、ギター小僧だった私は昔は4桁の数列といえば。。だったので。
byJoe Frazier at2020-10-27 15:00
-
Joe Frazier様
こちらこそ初めまして。
5150,ご推察の通りです。ビリー・ジョエルから洋楽入りして、チープトリックの次がVan Halenでした。そりゃもうすごい衝撃で…、と書きたいところなのですが、正直に言うとハマったのはもっとずっと後です。
最初はメロディラインが単純なわりにうるせーばかりで、なにがいいんだかよくワカラン、でした。まあ、やたらメロディアスなビリー・ジョエル(そもそもハードロックじゃない)やチープトリック(歌謡曲ロック)に慣れた耳だったので、EruptionのソロやRunning with Devilのリフを聞いても、ピンと来なかったんだと思います。
そういうわけで、爆音で聞いてるのはもっぱらVAN HALENが多いわけです。エディのことはただただ残念でなりません。
by5150 at2020-10-27 15:46
-
はじめまして。
私も秋葉原巡りでオーディオを始め、旧ラジ館にも大変お世話になりました。とってもよいお話で、私もかつてを思い出しました。少年時代我が家にはビクターのスピーカー付きアナログプレーヤーやオンキョーのシスコンがありましたが、自分で買った初めてのオーディオ製品はソニーのCDプレーヤー・CDP-333ESDでした。
で、私もエディーとイングヴェイでギターにのめりこんだ口です。高校時代は授業そっちのけで軽音楽部室に1日5時間こもってギターを弾いていました。VHは全部のアルバムをCDで持ってます。
爆音オーディオを末長くお楽しみ頂きたいと思います。
by元住ブレーメン at2020-10-28 20:27
-
元住ブレーメン様
レスありがとうございます。
ものすごい機材をお持ちですねぇ。機材だけじゃなくてAV環境のために家を建てちゃうというところがすごい!
ギターかぁ。いわゆるFの壁を越えられなかった口です。
コロナ禍もあってヒマなんだから、触ればいいのですが。
アコギで「Spanish fly」を完コピできたらその場で死んでもいいです。
by5150 at2020-10-29 10:05